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禊川


冷泉為村の短冊「荒和祓(あらにとはらえ・あらにぎはらえ)」です。

荒和祓 みそき河なかはをこゆるとし波の

    早瀬になかすあさの大ぬさ 為村


冷泉為村は冷泉家中興の祖とされ、12歳で霊元上皇の勅点を受け、同14年には宮廷歌会のほとんどに出詠する常連へと成長し早熟ぶりを示しました。父為久や烏丸光栄や中院通躬らの指導を受け、彼らの死後は宮廷歌人の第一人者としての名声を得ました。

「荒和祓」は、昨日の軸と同じ「夏越の祓」「水無月祓」のことで、それを詠んだ和歌です。

「大麻(おおぬさ)」とは、本来は「ぬさ」の美称で、「ぬさ」とは神への供え物や、罪を祓うために使用する物のことです。主として麻や木綿(ゆう)、のちには布帛や紙が使われるようになりまし。歌の意味は一年の半ばを越えてきた時間があっという間に過ぎ、祓いに用いる大麻を水の流れの速い瀬に流す、という具合です。禊祓いは、穢れや厄を祓うものです。『古事記』にでは、伊弉諾尊が黄泉の国で受けた自分の穢れを祓う目的で禊祓いをして心身を清めたことによります。そのときに最高神とされる三貴神を産むのです。左目を洗った時に天照大御神(あまてらすおおみかみ)が産まれ、右目を洗った時に月読命(つくよみのみこと)が産まれ、鼻を洗った時に須佐之男命(すさのおのみこと)が産まれました。

夏越祓では、神社に大きな「茅の輪」がつくられ、「水無月の夏越の祓する人は、千歳(ちとせ)の命延(の)ぶというなり」と唱えながら8の字を書くように3度くぐり抜け、病気や災いを免れることができるとい「茅の輪くぐり」が行われています。茅の輪くぐりは素戔嗚尊(すさのおのみこと)が南海に旅をした時、一夜の宿を請うた素戔嗚尊を、兄の巨旦将来は裕福でありながら冷たく断り、弟の蘇民将来は貧しいながらも粟で作った食事で厚くもてなしました。のちに再び訪れた素戔嗚尊は蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く弟将来の一族を滅ぼしました。以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教え、それに従って茅の輪を腰に付けたところ、疫病から逃れられ、子々孫々まで繁栄したという説話がもととなっています。また、人の形を模した紙の形代(かたしろ)である人形(ひとがた)に、自分の名前や年齢などを書き、それで体を撫でて人形に罪や穢れを移し、身代わりとして神社に納めます。その人形を祓い川に流したり、焚き上げたりいたりして清めて厄を落とします。紙だけでなく、藁や茅などで人形を作るところもあります。わたしのところの氏神である吉田神社は、祭典が終わると御幣のついた茅をもらって帰り、それで小さな輪を作り御幣をつけて軒に吊るします。また、氷を象った水無月というお菓子を食べます。水無月は白の外郎生地に小豆をのせ、三角形に包丁された菓子です。水無月の上部にある小豆は疫神を払うという意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれています。旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていました。この日になると、御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払いました。臣下にも氷片が振舞われたようです。しかし、庶民にとっては夏の水を入手することは到底できません。そこで、宮中の公家にならって氷をかたどった菓子が作られるようになりました。これが水無月です。また蒸し暑い時期には、しばしば病気がはやりました。体力も消耗するので、甘く食べやすいお菓子でエネルギーを補給すとるというまことに合理的な知恵から生まれた習慣で、今日もお菓子屋や餅屋が作る水無月を食べています。


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