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執筆者の写真木津宗詮

賊機

武者小路千家7代直斎筆になる「庭前柏樹子」です。



出典は『無門関』第三十七則で、ある修行僧が趙州和尚に問います。


如何いかなるかこれ祖師西来意(せいらいい)


達磨大師がインドからはるばる中国へ来られた真意とは何ですか?これに対して趙州和尚は、


庭前の柏樹子


と、即答しました。

祖師西来意という問いは「禅」とは、「仏」とは、「悟り」とはということだそうです。柏樹子というのはビャクシンのことで、趙州和尚は庭先のビャクシンの樹だと言い切ったのです。

趙州和尚の境地は庭前の柏樹子そのものです。禅だの、仏だの、悟りだのという理屈の世界でなく、柏樹子に成り切った天地一枚の絶対的な境涯を示しているのだそうです。微塵も思慮分別を差し挟むことの出来ない徹底的な「無心」の心なのだそうです。

妙心寺の開山関山慧玄が、この趙州和尚のやりとりに、「柏樹子の話(わ)に賊機(ぞっき)あり」と評したそうで、これには恐ろしい盗賊のような働きがあって、私たちから執着や分別心、煩悩を根こそぎ奪い去る働きがあるということだそうです。のちに、黄檗宗の開祖隠元が、


この一語、百千万巻の語録に勝る


と言ったと伝わっているそうです。

なんとも恐ろしいことばです。やっぱり禅語は難しいです。だから私はあまり禅語を使いません。言葉で説明できてもその真意を伝えることは永遠に不可能だからです。

直斎の筆跡は豪放磊落なものですが、この書はとてもかっちりとしていて襟を正して書いたのではないかと思えます。この句の恐ろしさを直斎は知っていたからではないでしょうか。署名の花押を90度回転させて書いているのも特別な思いがあったのだと思います。

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