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執筆者の写真木津宗詮

重陽

本日10月4日は旧暦9月9日重陽です。床に江戸後期の尾張名古屋藩の御用絵師喜田華堂( きだかどう )の茱萸袋(ぐみぶくろ)図を掛けました。

伝説に後漢(25~220年)のころ、桓景(かんけい)という人がふるさとを離れて道士の費長房(ひちょうぼう)に武芸を習っていたときの出来事が重陽の起源とされています。桓景は9月9日に費長房に言われたとおりに帰郷し、家族を連れて茱萸(グミ・カワハジカミ)の袋を腕に結び、高みに登って「菊花酒」を飲み災いを避けました。夕方になり、半信半疑の桓景が帰宅すると、飼育していた鶏や犬・牛・羊がすべて死んでいました。費長房はそれを聞いて「主人の代わりに家畜が難を受けたのだ」といいました。これに習って、重陽の日に高みに登り茱萸をつけて菊花酒を飲むという慣わしができたとあります。

このように重陽節は、難を逃れるという習俗として始まりました。陰陽思想によれば、「九九重陽」は陽数が強すぎ、「盛りきわまれば、必ず衰える」ということでこの日を恐れたのです。また、重陽節が過ぎると気候が涼しくなり、風邪などの病気にかかりやすくなるなどのことも重なったのです。だから古人は重陽を「凶日」と見なして、難を逃れるための各種の工夫を凝らしたのです。

中国では古来、 茱萸はその香りが虫除けとなり、湿気を除き、風邪を防ぎ、発熱を抑えて、内臓にもよく漢方薬として用いられてます。重陽節に茱萸を挿して難を逃れることから、避邪翁」と呼ばれていました。中庭の井戸のそばに茱萸を植え、葉が井戸に落ちると井戸水の毒を消すことができるとか、重陽節には玄関に茱萸を挿して邪気を払うなどの風習もみられました。

日本では、むかし宮中では、厄除けとして重陽の節句に菊花と茱萸を緋色の袋に入れた「茱萸袋」が作られました。そしてそれを清涼殿の御帳台の柱に端午の節句(5月5日)につけられた薬玉と茱萸袋と取りかえる行事が行われました。

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