古来、正月には家々に訪れる年神様(としがみさま)をお迎えしてお祀りしてきました。年神様とは豊作や家内の安全を守る神様であるとともにご先祖様でもあります。ちなみにその年神様が新しい魂を与えてくれて新年とともに魂も新しく更新されます。これがお年玉の淵源です。
その年神様が訪れる目印が門松です。松は常磐木(ときわぎ=常緑樹)で神様が宿る神籬(ひもろぎ)とされ、正月に家の門に常盤木を飾ったのがたのが門松の始まりだそうです。常盤木の中でも、松は「祀る」につながる樹木であることや、古来の中国でも生命力、不老長寿、繁栄の象徴とされてきたことから、特に松をおめでたい樹として、正月の門松に飾る習慣となったようです。
平安時代中期の 惟宗孝言(これむねのたかとき)の『本朝無題詩』に、
門を鎖しては賢木(さかき)もて貞松に換ふ
門を閉じ賢木を松のかわりに挿した、とありこの頃には、すでに正月に「松を門戸に挿す」習慣が近来の風習となっていたことがわかります。また藤原顕季(ふじわらのあきすえ)が『堀河百首』に、
門松をいとなみたてるそのほどに
春明がたに夜や成ぬらん
大晦日に門松をたてはじめたのだが元旦の明け方になってしまった。一晩中かかって立てる松はどのようなものだったのでしょうか。また吉田兼好は「大路のさま、松立てわたして花やかにうれしげなるこそ、又あはれなれ」と『徒然草』に都大路に門松が立てつらなって花やかに嬉しげだと感慨を込めています。
年神様の滞在する期間に門松を立て、これを「松の内」といいます。元旦から1月15日までを松の内として15日に門松を納めます。なお、東京は1月7日までで、江戸時代、幕府により1月7日をもって松の内とする通達が江戸城下に発せられ、それ以降関東では徐々に1月7日までが松の内になっていったそうです。
兵庫県西宮市の西宮神社では「逆さ門松」といって、松を上下逆さまに挿します。これは、神様が降りてくる際に松の葉がお尻に刺さらないように下に向けるのだそうです。日本昔ばなしのようなほのぼのとしたほほえましく、そして優しい心がみえます。

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