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執筆者の写真木津宗詮

鴬色

 古来、茶壺の口切の季節である11月(旧暦10月)初旬、立冬(今年は11月8日)の頃を茶の正月といってもっともめでたい月との一つとされてきました。昔は八十八夜前後に摘まれた茶は直ちに製茶されて碾茶にされ、あらかじめ預けられていた茶壺に宇治の茶師に詰めてもらっていました。その茶壺が茶師から届けられ、その口封を切って使いはじめるのがこの頃です。そしてその茶事を特に口切の茶事と呼び、まことにめでたいものとしてその年の新茶をいただきました。濃茶は半袋とよばれる紙製の袋に入れられます。そして茶壺の中にはいく種類かの濃茶とその周りに薄茶が詰められます。夏の間、湿気を避けて低温の茶蔵で保存されてました。製茶仕立ての茶は青葉アルコールと呼ばれる成分を多く含み、ちょうど青海苔のような青臭さが強く、通気性の良い呂宋壷などで半年ほど熟成させ、香りも味わいもほどよい状態にしたのです。



    茶の中立にて炉の      枝炭に薫る梅か香と     相客の中に        いひしかは         季鷹   挽きたての      茶は鶯の

       色に似て


この軸は江戸時代後期の上賀茂神社の社家賀茂季鷹が裏千家の玄々斎 の口切茶事に招かれた時の発句です。初座で茶壺の口切が行われ、炭点前に引き続き懐石をいただき、腰掛待合で中立しているところに、炭点前でつがれた練香の梅が香かすかに漂ってきたところに相客から何か一句と乞われて詠んだものです。「今しがた茶壺から出されて臼で挽かれた茶は鶯の色に似ている。」  鶯色とは灰色がかった緑褐色です。引き立ての茶の色は決して緑色ではなく鶯色。ちょうどひと月ほど冷蔵庫に入れずに変色したようなお茶です。私たちは一年中、美しい緑色のお茶を飲んでいますが、保存技術も発達していなかったので、当時の人は今日のように新茶であってもそのような色だったのです。


 父徳至斎から聞いた話ですが、父の子供の頃記憶に、祖父である花笑斎が変色したお茶でも平気で美味しく飲んでいたそうです。

 今日、当たり前になっていることも昔はまったく違うということが多々あります。今の目で見ていては本当のことがわからない。世の中が進歩したことにより多くの誤った解釈をしてしまう。古人の心を本当に理解することは本当に困難なことです。

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