『東海道名所記』に、
宿のまちはづれより、右のかた一里ばかりに三上山み
ゆ。世にこれを百足山という。その山のかたちは、うつ
くしうて、ちいさき富士の山なり。むかし、この三上山
を七巻き半まとひてすみける百足あり。勢多の橋のした
にすみける龍神をおびやかして、ころさんとしけるを、
俵藤太秀郷ただ二矢にて、むかでをころしたり。その報
恩に、米の俵一つ。絹一ひき。釜ひとつ。鐘一つあたへ
たり。秀郷を俵藤太といへるは、この故なるべし。
藤原秀郷(俵藤太)のムカデ退治のお話です。
琵琶湖に住む龍神が三上山の百足に苦しめられていてました。竜神は秀郷に退治してほしいと懇望し、秀郷はそれを快諾して三上山に臨みました。すると稲光と共に、2、3千本余りの足の全てに松明を掲げて、三上山を7巻き半するほどの大百足が現れました。秀郷は百足が人の唾を嫌うということを思い出し、矢尻に唾を吐きかけ、南無八幡大菩薩と祈念して射て退治しました。『東海道名所記』にあるように、秀郷は龍王から数々の褒美を授かりました。その中の「俵」は尽きることのない「俵」ということから「俵藤太」と呼ばれるようになったそうです。
琵琶湖に住む龍王は、もともとは瀬田の唐橋自体を社として、橋の中央に特殊な橋杭があり、それを龍神の御霊代としたとされています。室町期に現在地に橋を架け替え、龍神を権殿に遷座し、のちに権殿が本宮となり勢田橋龍宮秀郷社(せたばしりゅうぐうひでさとしゃ)として滋賀県大津市瀬田にご祭神を大神霊龍王(おおみたまりゅうおう)と藤原秀郷公をお祀りして今日に至っています。
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