本来、菓子に添えられる黒文字は楊枝で、銘々皿に1人分の菓子がのせられ黒文字一本を添えるのが本義です。複数の菓子が鉢などの器に盛られた時には2本つけて箸として使われています。

箸は熱い食事を器からとるのに最適で、また口にする食べ物を清くとり、手を汚さないという意味で最適な道具です。そもそも我が国で箸がいつ頃からもちられるようになったかは定かでないそうですが、『古事記』のスサノオノミコトの神話にもみえるほど古い食器です。古代の箸は細く削った竹を2つに折り曲げたものとされています。のちに2本の細い棒状のものとなり今日に至っています。日本以外に、中国・韓国(朝鮮)・ベトナム等の東アジアを中心いにひろく用いられています。

かって一条家の諸太夫下橋敬長の『幕末の宮廷』を読んだ時にとても印象に残った天皇の朝食である朝餉(あさがれい)の話がありました。応仁の乱ののち戦国時代に朝廷の財政も逼迫していた時、川端道喜が「おあさの餅」という餅を毎朝献上し明治まで毎日行われていました。この餅は団子ほどの大きさで、塩餡を包んだもので数が六つでした。それを土器(かわらけ)に盛り白木の三宝にのせて天皇に差し上げたそうです。なお、江戸時代になり朝廷の財政が安定してからは召し上がることはなくただご覧になるだけで、「朝餉の儀」とよばれる儀式として執り行われました。

三宝に盛られた六つの餅は4つ並べその上に2つ置き、清い箸で縦横に筋をつけた醜いものでした。その訳はいくら手を綺麗に洗っても天皇に対して恐れ多いので、箸で持ったのがわかるように形をつけたとのことです。そうでないと手で持ったことになったのだそうです。ちなみにこの餅は御膳番から、お内儀の御末という女官に渡され、御末は命婦へ、命婦は内侍へ渡し、内侍が天皇の御前に持っていって奉り、そして天皇がご覧になられて召し上らなかったそうです。そしてこの餅を下げて板元が天皇の好みに合わせて口に合うようにした御膳を差し上げたそうです。

また、「式包丁」も、右手に包丁、左手に真魚箸(まなばし)を持って、決して素手で素材に触れずにさばきます。もともと式庖丁は貴族や大名が賓客を招いた時に、主人が心から歓待する意味で、自ら包丁をとってその包丁ぶりを見せ、その切った素材を料理方に調理させて客に差し上げたのがはじまりです。中世に描かれた七十一番職人歌合絵巻の 庖丁師や、他の絵画に現れる料理人が包丁と 真魚箸を使って切りさばいているものがでてきます。ちなみに、安土桃山時代に来日したジョアン・ロドリゲスは著書『日本教会史』のに、支配階層が身に付けるべき実践的な教養である「能」として、「弓術・蹴鞠・庖丁」を挙げています。

以上のように、箸で食べ物をはさむといううことは熱いものをたやすくとるとか、手を汚さないとか衛生的であるとかの実利面だけでなく、食べ物を穢さずにず清浄さを保つという意味があります。箸には日本人の伝統的な精神文化がその基底にあると私は考えています。



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