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伊木三猿斎の雷の自画賛です。

不作一喝用

上拄天下拄地

三猿(印)

一喝の用(ゆう)を作さず

上は天を拄(ささ)え、下は地を

拄(ささ)える

伊木三猿斎は幕末の備前岡山藩の筆頭家老で、三猿斎は号で、名を忠澄といいました。茶の湯を速水宗寛、玄々斎 に師事し、虫明焼を創始し、吉備団子の発案者でもあります。現在、大徳寺三門金毛閣の厨子の中の利休さんの木像の首を所持し、自身の屋敷に利休堂を建ててそこで祀っていました。死後、未亡人が木像の首を大徳寺に寄進し、新たに胴体を造り、今日見る姿になったのです。

「臨済の喝徳山の棒」は臨済禅師の大喝と徳山禅師がの痛棒。ともに雲水教導の方法として用いたものとして古来有名です。『臨済録』には「臨済の四喝」といって四種類の喝があると記されています。一つめは迷いも悟りも、理屈も道理も、妄想や分別を一刀両断に断ち切る喝。二つめは天地一枚、大悟した境地から吐き出される全くすばらしい、だれ一人寄り付くことのできないまったく隙のない喝。三つめは相手の足下を見抜くため、すなわち相手の素質や力量を試す喝。そして四つめは、すべての造作やはさらいを一切加えない喝、喝しても喝しない喝だそうです。そしてこの四つめの喝は、他の三つの喝の根源であり、すべてを含んでいる喝なのだそうです。とても難しい!

この賛の「不作一喝用」は四つめの喝のことです。実際この句は『臨済録』の引用です。

この賛は「雷」のあとの二行の句を別のことばで説明しています。そこで三猿斎は雷の音・雷鳴・稲光をすべての造作・はからいを全く加えることもなく、その形跡すらない。雷をそうした喝に見立てているのです。そしてその雷からは凡夫には推し量ることのできないものが生まれる。それは上は天をを拄(ささ)え、地をを拄(ささ)える、そんな恐ろしい働きをするのが「雷」であるとしているのでしょう。ですから、「雷」は絶対無比なものであり、また「雷」を「喝」に置き換えることもできるのではないかとわたしは考えます。

禅語の真の意味は本当にその境地にいたった人以外には、窺い知ることができません。理屈では真の理解・会得をすることを許さない。自身が僧堂で実参参究して身につけることより方法が無いのです。

だから門外漢のわたしは極力禅語を、稽古や茶会に使うことをためらうのです。字面やその経緯は説明できても、真の意味の説明ができないからです。禅語の軸ほど恐いものははありません!厄介なものはありません!


庶民の絵であったことを改めて、ほんの少し理解できたようにら思いました。

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