大嘗祭(だいじょうさい)は天皇が即位後、最初に皇祖および天神地祇 に新穀を天皇が捧げ、天皇自らもこれを食す一代に一度の大祭のことです。この時に供えられる稲を出す斎田を京都以東以南の西日本の悠紀国(ゆきのくに)・同じく京都以西以北の東日本の主基国(すきのくに) が選ばれます。大嘗祭の中心儀式である「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」で、神々に供える米を育てる悠紀国と主基国は「斎田点定(さいでんてんてい)の儀」によって決められます。皇居・宮中三殿前で宮中祭祀をつかさどる掌典(しょうてん)職がカメの甲羅を火であぶり、ひび割れの具合による「亀卜(きぼく)」で決定されています。亀卜は国内では地域の1年の吉兆を占うために長崎県対馬の雷神(いかづち)社の「サンゾーロー祭」のみが伝わっています。ちなみに対馬の亀卜は古式に伝承されて貴重な民族資料として市指定無形民俗文化財に指定されています。宮内庁は約1年半前から、亀卜に用いる希少なアオウミガメの甲羅の確保に奔走し、甲羅の加工職人の選定にも慎重を期したとのことです。アオウミガメは絶滅の恐れがあり、国際的な取引を規制するワシントン条約をはじめ、国内法でも保護対象となっています。宮内庁はアオウミガメの保全活動に力を入れる東京都小笠原村に協力を依頼して昨年春に捕獲された8頭分の甲羅を確保したそうです。なお、同村は東京都の許可を受けてアオウミガメの漁が一定量認められています。亀卜に用いるカメの甲羅はホームベースのような形に切り出し、厚さ1ミリの薄さまで削る高度な技術が必要となります。宮内庁は正倉院の宝物修復に関わった経験のある鼈甲(べっこう)加工業者に作業を依頼したとのことです。
昭和3年(1928)の昭和天皇の大嘗祭の悠紀国の斎田は近江国・滋賀県野洲郡三上村(野洲市)、主基田は筑前国・福岡県早良郡脇山村(福岡市)が選ばれました。三上山の麓にその時の悠紀国の斎田があります。
写真の平棗は昭和天皇の大嘗祭の時の大嘗宮の主基殿の古材で作られたもので、甲に「斎田御用(さいでんごよう)」の焼印が押さています。また同じく一重切花入銘「福岡」は主基殿の竹で作られたものです。いずれも武者小路千家先々代家元愈好斎が箱書しています。福岡の箱にはこの時の主基国の風俗歌が認められています。
みめぐミの風ふくをかはちよろすの
いへの煙もうちなひきつゝ
今日は11月14日から15日にかけて皇居・東御苑で行われる大嘗祭に使用する主基斎田の「斎田抜穂の儀」が西日本の「主基斎田」の京都府南丹市と東日本の「悠紀斎田」で、陛下から遣わされた抜穂使の立ち会いのもと白張(はくちょう)姿の大田主(おおたぬし)以下の奉仕者により稲穂の刈り取りが行われました。主基田はキヌヒカリを栽培する水田約2700平方メートルとのことです。
平成の大嘗祭の亀卜で用いられたアオウミガメの甲羅 読売新聞オンラインより
『大嘗祭資料』鈴鹿家文書
平成の大嘗祭での「斎田点定の儀」FNN PLIMEより
昭和天皇大嘗祭の主基斎田
昭和天皇大嘗祭の時の大嘗宮の主基殿の古材で作られた平棗
甲に「斎田御用(さいでんごよう)」の焼印が押さている
愈好斎在判になる昭和天皇大嘗祭の主基殿の竹で作られた一重切花入銘「福岡」
箱書には主基国の風俗歌が認められている みめぐミの風ふくをかはちよろすの いへの煙もうちなひきつゝ
令和元年9月27日に行われた「主基斎田抜穂の儀」 京都新聞より
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