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執筆者の写真木津宗詮

述懐

近衛前久「述懐一に非ず」の詠草を床にかけました。信楽耳付花入に加茂本阿弥と西王母、紅梅を入れました。

近衛前久は、近衛家17代当主で、官位は従一位、関白・太政大臣等を歴任した戦国時代から江戸時代初期にかけての公家です。子は近衛信尹(三藐院)、後水尾天皇は孫にあたります。京都の乱れた情勢を憤り、関白在任中に上杉謙信を頼り越後に下り上洛を促します。その後、帰洛しますが将軍足利義昭との関係が悪化し出奔し、大坂、丹波を流浪し、関白を解任されます。そして織田信長の奏請により許されて帰洛しますが、直ちに薩摩の島津義久を頼り下向。再び帰洛し、信長と石山本願寺との和睦に尽力します。本能寺の変で信長が横死したとき、難を恐れて剃髪し嵯峨に隠遁します。その後、徳川家康を頼り遠江に下り、翌年家康の斡旋で帰洛します。五摂家筆頭という名門に生まれながら、その半生を流浪に費やした乱世を生き抜いた公家です。また、当代屈指の文化人でもあり、父から古今伝授を受け和歌や連歌にも優れ、書をよくし、有職故実や馬術、放鷹(ほうよう)などにも精通し、当代一流の文化人でした。


述懐 非一

       杉

おやをおもひ

      子を

 あはれむも 

      とりとりに

くらへくるしき物にそ

        有ける


近衛前久「述懐一に非ず」という題で、杉というのは前久の一字名です。述懐とは心の中の思いをのべることで和歌の題の一つです。冷泉家では「じゅっかい」と読まず「しゅっかい」と読みます。世の中というものは憂いのあるもので浮世に過ごす身の不遇をいかに過ごせば良いか、心に思うことは通じないなどと詠みます「とりとり」は踊り字ですが変換できなかったのでこのように書きました。

子が親のことを思うのも、親がいつまでたっても子どものことを哀れみ、その思いは比べることができません。


今春、娘は大学に、息子も高校進学します。それぞれ大きくなりいつまでも子どもではなくなりました。親の言うことを聞かない、生意気、屁理屈をこねる。ほんとな困ったものです。でも幼い子どもでいてほしいという思いもありますが、していずれ成長して大人になってもらわなければ困ります。とても複雑な心境です。

よくよく考えてみると子どもの頃の自分を鏡で見ているようです。私の両親も私のような息子にとても手を焼いたのだと思います。まさに自業自得です。




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