かつて京都では表千家・裏千家・武者小路千家の三千家を「上流」、藪内家を「下流」とその所在地から呼ばれていました。三千家は利休の孫の宗旦な3人の息子の流れを汲む家で、藪内家は武野紹鴎門下の剣仲が立てた家です。剣仲は利休の弟弟子にあたり、利休から真台子の相伝を受け、その媒酌によって古田織部の妹を娶ったと伝えられています。2代真翁は、西本願寺良如上人に仕え、それ以降西本願寺の庇護を受けています。
毎回お伺いするたびに感じることです。同じ最も古い茶家ですが、お玄関の佇まいに千家とは異なる風情があります。三千家にはどこか通じるものがあり、それに対して藪内家は独特な雰囲気が漂っています。
お家元の方に尋ねたところ、門を潜り二つの玄関があり、左が表玄関、右が内玄関、そして突き当たりが勝手口だそうです。表玄関には敷台があり、内玄関には敷台がありません。現在は内玄関から来客も稽古人も室内に入り、昔はその人の階級により区別があったようです。また、通りに面して普段閉じられている入口を露地門とか貴人門といって、西本願寺の門主や家元の慶弔の折に使われるそうです。
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