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執筆者の写真木津宗詮

3月3日 稽古場の床

春日大社の職員の稽古に有栖川宮7代韶仁親王の短冊を掛けました。



呉竹のよゝのみやこと聞からに 

きみは千とせのうたがひもなし   


       

紫式部の曽祖父藤原兼輔の和歌です。花は加茂本阿弥椿と山茱萸を竹一重切花入に入れました。



『大和物語』に、伊勢のくににさきの斎宮おはしましけるときに、つつみの中納言勅使にてくたり給て、くれたけのよよのみやこときく からにきみはちとせのうたかひもなし御返事はきかす、かのさい宮のおはします所は、たけのみやことなんいひけるとあります。斎宮は宇多天皇の皇女柔子(じゅうし)内親王、醍醐天皇の妹です。つゝみの中納言(堤の中納言)は紫式部の曽祖父藤原兼輔のことです。伊勢の神宮に仕える皇女斎宮の御所のある地である多気(たけ)に呉竹を掛けています。「呉竹の」は竹の節(よ)に係る枕詞です。竹の園生(そのう)は皇族の異称。そうしたことからこの多気は呉竹の節々のように代々栄える都といわれる地で、宮の寿命も千年であるのは疑いのないことです。

表具の裂は尾長鳥に牡丹の型摺技法の摺文です。摺文は神事で用いられる小忌衣(おみころも)や有職の帳に用いられる裂です。白絹や白麻地に青摺(あおずり)と呼ばれる山藍の葉の汁で、花鳥風月等の素朴な文様を書くのが一般的です。

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