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執筆者の写真木津宗詮

観音菩薩

大綱宗彦(だいこうそうげん)の観音菩薩の画賛です。



息耕師祖曰、佛

法在正不在乎、

盛在正則鬼神

莫側(測)、其由在盛

則鬼神能妬其

福宜矣、風穴破

屋数軒、単丁者

七年、臨済正續

而如此、今時無

斯風久児孫思

八十九翁大綱(印)


息耕師祖曰く、仏法は正に在るや在ざるや、盛んなること正に在らば則(すなわ)ち鬼神もその由を測(はか)るなし。盛んなれば則ち鬼神能(よ)く福宜(ふくぎ)を妬む。矣、風穴(ふうけつ)破屋(はおく)数軒、単丁(たんてい)なる者は七年。臨済正続となりてかく此の如し、今時斯(こ)の風無し、久しく児孫思え



息耕師祖が言われた、仏法が正しく行われているかいないか。盛んであることが、正であるならば鬼神もその理由を推し測ることができない。盛んであれば鬼神はそのめでたいことを妬む。風穴の空いた壊れた家が数軒。召使いもなく自分で雑用もすべてする独り者は七年。臨済の正当な継承者となりこの通りである。このごろはこの風がない。永く児孫よこのことを肝に銘じなさい。


賛の息耕師祖とは虚堂智愚のことで、『虚堂録』の「風穴破屋数軒、単丁者七年、臨済正續」の句を踏まえています。一応訳してみましたが意味が今ひとつつかめません。絵は龍に乗った白衣観音で、三十三観音に数えられ、阿弥陀如来の妻といわれ、中国で特に信仰されたています。白衣観音は1面2臂で頭から白い布をかぶり白い衣を着る姿で、僧が着る袈裟ではなく、在家の着る白い衣のことだそうです。観音菩薩のかぎりない慈悲の心は白処に住むとするところから,白処尊菩薩とも呼ばれて信仰され,とくに普陀落山(ふだらくせん)の清流岩上に身をゆだねて思索する瞑想の世界は,白衣に象徴される清澄な境涯とともに禅的境地の顕現として好んで禅宗にとり入れられました。白衣観音菩薩は如来の変身で救済を専らとする仏で、‘慈悲’のうち‘悲’を表現し 母親が我が子に対する無条件な愛情のような無限なやさしさを表現しています。

今年もお盆を迎えました。毎年のことですが、残暑の厳しい時期です。お坊さんたちはこの暑い中衣を着て檀家回りにいそしんでいます。

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