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執筆者の写真木津宗詮

12月14日 稽古場の床

今日12月14日は赤穂浪士の吉良邸討入の日です。それにちなみ自宅稽古場の床に鈴木松年の自画讃を掛けました。浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』七段目で、大星由良助(大石内蔵助)が、敵の目を欺くため、敵討の本心を隠して祇園一力茶屋で遊び呆けている図です。花は白玉と西王母・臘梅を唐銅立鼓花入に入れました。

酔石智義理深

  松年僊史写意(印)

酔態を装った大石内蔵助の深い知恵の計略「智謀」と、人の踏み行なうべき道理である「義理」が深いことを讃えた語です。

かつて大石内蔵助が山科で閑居した地に建立された大石神社でお世話になりました。同神社では赤穂浪士が本懐を遂げた日ということで、毎年12月14日に義士祭が執り行われます。そうしたことからこの軸は格別思いの深い品です。


『仮名手本忠臣蔵』七段目祇園一力茶屋の段は代表的な名場面の一つとしてあまりにも有名です。大星由良之介(大石内蔵助)は仇討ちの心がないと敵の目を欺くため、祇園の一力茶屋で遊興三昧の日々を送ります。一方、元塩冶家筆頭家老・斧九太夫は敵の高師直スパイとなり、師直の家来鷺坂伴内とともに、由良之助の真意を探るために一力茶屋に来ています。一方日も早く仇討ちをと血気にはやる足軽寺岡平右衛門と塩冶浪士の矢間十太郎、千崎弥五郎、竹森喜多八の三人敵討ちのことを尋ねられた由良助は酔っ払ってまともに相手にならないなりません。三人の侍は由良之助の真意をはかりかね、その放蕩ぶりにただただ怒り心頭その場を去ります。九太夫は由良助の真意を探ろうとわざと精進して慎まなければならない旧主塩冶判官の月命日の前日である逮夜に魚肉を勧めます。ところが由良助は平然とこれを食べててしまいます。それでも斧九太夫は由良助のことを疑って縁の下に忍び込み様子を探ります。その後、由良助とお軽、平右衛門とお軽のやりとりが繰り広げられます。そして由良之助は敵を欺くための放蕩三昧であったと本心をあらわし、縁の下に隠れている九太夫を引きずり出して、お軽に殺させ、平右衛門を仇討ちの一味に加えます。この後が私の大好きな台詞です。


獅子身中の虫とは儕(おのれ)が事。我が君より高知を戴き、莫大の御恩を着ながら、敵師直が犬となって、ある事ない事よう内通ひろいだな。四十余人の者共は、親に別れ子に離れ、一生連れ添ふ女房を君傾城の勤めをさするも、亡君の仇を報じたさ。寝覚めにも現にも、御切腹の折からを思ひ出しては無念の涙、五臓六腑を絞りしぞや。取分け今宵は殿の逮夜(たいや)、口にもろもろの不浄を云ふても、慎みに慎みを重ぬる由良之助に、よう魚肉を突き付けたなア。いやと云はれずおうと云はれぬ胸の苦しさ。三代相恩のお主の逮夜に、咽を通したその時の心、どの様にあらうと思ふ。五体も一度に脳乱し、四十四の骨々も砕くる様にあったわやい。ヘヱヽ獄卒め魔王め



由良之助は九太夫を土に摺りつけ、さらに平右衛門からも錆刀で斬りつけられ、のた打ち回り、由良助が「それ平右衛門、喰らい酔うたその客に、加茂川で、ナ、水雑炊を食らはせい」といって平右衛門が九太夫を担ぎ、由良助がおかるを傍に添わせて優しく思いやる心根で、扇を開いたところで幕切れとになります。なお、文楽では平右衛門が両腕で九太夫を重量上げのように持ち上げるという人形ならでは演出です。


これまで文楽や歌舞伎で何度もこの場を見ましたが、由良之介が己の本心を殺して放蕩三昧に耽り、またおかるの悲哀、平右衛門の忠義、それぞれが一つの物語であり名場面です。私は精進日にも関わらず生臭物を口にする。その苦るしい心境を「五体も一度に脳乱し、四十四の骨々も砕くる様にあったわやい」というところに「義理」を守るりそれを貫くことの難しさに心が打たれます。まさに義理には常に苦渋がつきまとうのです!



写真は鈴木松年の「一力遊興図」です。


酔石智義理深


  松年僊史写意(印)



手の鳴る方へ、手の鳴る方へ


とらまよ、とらまよ


由良鬼やまたい、由良鬼やまたい


とらまへて酒呑まそ、とらまへて酒呑まそ



目隠しをした由良之助と、それに捕まらないように逃げる遊女たちの声が聞こえてきそうです。

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