• 木津宗詮

コンプラ瓶(金冨良瓶)

最終更新: 3月7日

 「コンプラ」とは,ポルトガル語の「コンプラドール(Comprador)」の略称(CPD)です。日本語では「買い手」とか「仲買」「買付」という意味です。  江戸時代、長崎の商人たちが「金冨良社」という組合を作り、出島のオランダ東インド会社(V.O.C)を介して、オランダ商館員や来航船の乗組員のために,日用品,輸出品,および貨物梱包品などいわゆる諸色を,日本商人との間に立って取次ぎ,仲立ちをしました。そうした輸出品のなかに酒や醤油があり、東インド会社を通じてヨーロッパや東南アジアにもたらされました。なお、この商人達を「コンプラ株仲間」、とか「コンプラ商人」と呼んでいました。東インド会社がs輸出した醤油や酒を入れた容器を「コンプラ瓶」といいました。 コンプラ瓶にはオランダ語でJAPANSCHZAKY(ヤパンセ・サキー、日本の酒)とかJAPANSCHZOYA(ヤパンセ・ソヤー、日本の醤油)と書かれています。なお、また、瓶の下部に「CPD」とかかれているものもあります。染付されたいる文字は手書きが多く、型紙摺りのものもあります。これは「コンプラドール」の略です。「コンプラ瓶」の容量は「2合9勺余」(約500ミリリットル )で高さ約20センチほど、口はコルク栓で密閉されていました。瓶のデザインはオランダ人の注文で、安定を考えてどっしりとした形に仕上げられています。なお、「コンプラ瓶」が登場する以前は、「ケルデル瓶」と呼ばれる四角いガラス製の瓶が用いられていたそうです。ところがこの瓶が不足し、それを補うために長崎に近い伊万里や、波佐見の焼き物による瓶が使われるようになったとのことです。  長崎商館の医務職員として勤務したスウェーデンの医学者で植物学者のツンベリーの旅行記『ツンベルク日本紀行』に、

  日本人の作る醤油は非常に上質で,これはシナ(中国)の醤油に比して遥かに評判が良か

 った。そのため、日本の多量の醤油がバタビア、印度、及びヨーロッパに運ばれた。そ

 の輸送に携わったオランダ人は、微生物のため醤油が腐敗し風味が落ちたり、又その過

 醗酵をすることを防ぐ方法を考案した。オランダ人は、醤油を鉄の釜で煮沸して瓶詰瓶

 詰めとし,その栓にコールタールを塗るのである。

この瓶詰というのはこの「コンプラ瓶」のことです。  コンプラ瓶の逸話に、ジャガタラお春の調度品に含まれていたとか,美食家で知られたフランスのルイ14世が醤油を愛用し宮廷料理の隠し味に使わせていたとか,ロシアの文豪トルストイが自室の書斎の一輪挿しにしていたなどがあります。  以前、「コンプラ瓶」に興味を持って集めていたことがありました。一部ご覧いただきます。花を入れた徳利に似た「コンプラ瓶」は、別名「蘭瓶(らんびん)」ともよばれ、中央に花輪で囲まれた東インド会社のロゴ「VOC」が書かれ、周りをとても硬い繊維で編まれたものに包まれ、上部ににはぶら下げることができるように紐状の輪が取り付けられています。中央の「RW」のロゴは不明ですが、こちらも酒が入れられていたと思われます。この瓶ももとは硬く編まれた繊維で巻かれていたようです。左の小さな瓶は醤油が入れられた「コンプラ瓶」です。  毎年、年末のクリスマスの時分に花入として稽古で使っています。



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