木津宗詮9月18日1 分名水平安時代より名水として知られた佐女牛井は源氏の六条堀川邸にあったとされています。村田珠光がこのあたりに住み足利義政に佐女牛井の水を用いて献茶しました。その後も武野紹鴎や利休・織田有楽斎などの茶人に好まれ、天下一の名水と有名になりました。...
木津宗詮8月14日1 分酒津焼(さかづやき)有隣斎筆「飛流」平茶碗酒津焼は岡山県倉敷市酒津の窯で、明治2年に倉敷の実業家岡本末吉が地元の良質の陶土に目を付け、山口県萩から職人を招いて窯場を開いたのが始まりです。当初は食器など日用雑器を焼いていました。のちに民藝運動の柳宗悦や浜田庄司、バーナード・リーチらが来訪して指導し、花器や茶器など趣の...
木津宗詮8月7日1 分『茶道バイリンガル事典』岡本浩一先生の力作です。是非ともご高覧くだい! https://kanjibunka.com/shinkan/shinkan-shoukai/shinkan-11325/
木津宗詮8月5日1 分8月4日 稽古場の床夕方からは春日大社職員の稽古でした。床に宗旦四天王寺の一人で、伊勢の神宮御師杉木普斎の描いた草花図を掛けました。 毎日の猛暑もどこ吹く風で、全く萎れることのない花です!
木津宗詮8月2日3 分名水『京羽二重』に「名水」という項目を設けて、 明星水、智弁水、岩清水、香水、糺清水、薬師清水、紫雲水、手水の水、尼寺の水、弁慶水、朧の清水、瀬井清水、醒井の水、柳の水、梟の水、吉水、清水、蹴上水、仙人水 の十九の名水が記載されています。また、「京三名水」として御手洗井(左京区...
木津宗詮7月18日1 分北向道陳(きたむきどうちん)北向道陳(きたむきどうちん)は利休の最初の茶の湯の師匠です。家が北向きであったため「北向」と名乗ったと伝えられています。堺の舳松町(へのまつちょう)に住み医師であったといわれています。能阿弥の弟子・島右京(空海)より東山流の茶法を受け、武野紹鴎と親交し、利休を紹鴎に推薦して...
木津宗詮7月4日1 分理平焼当代不徹斎家元が宗守襲名前の宗屋時代に好んだ先代紀太理平作になる理平焼波絵茶碗です。 理平焼は、初代高松藩主松平頼重が野々村仁清の弟子森島作兵衛を招き焼かせた御庭焼がルーツとなっています。のちに作兵衛は紀太理兵衛と名を改め、高松藩別邸栗林荘の北に窯を築きます。以降、代々「理...
木津宗詮6月16日1 分血池焼ある方からいただいた血池焼という焼物の茶碗です。 かつて大分県別府市にあった窯と聞きました。薄手でしっかりとした箆目のある小ぶりな茶碗です。それにしても物凄い名前です。別府に血の池地獄という温泉があります。多分、これに由来する名前だと思います。詳細については全く分かりません。
木津宗詮6月14日2 分茶道学術奨励賞私の七代宗詮襲名の記念に執筆した『千一翁 宗旦の子に生まれて』(宮帯出版)が、公益財団法人三徳庵(大日本茶道学会)な茶道文化学術評価され、茶道文化学術奨励賞をいただきました。 ちょうどその授賞式が学士会館で行われたのが2014年6月16日でした。あれから9年の歳月が経っ...
木津宗詮6月1日3 分徐煕の鷺絵同じく卜翠会総会、並びに研修会の床に掛けた土佐光孚(みつざね)による徐煕(じよき)の鷺絵写しです。今回の研修会は北野天満宮と豊臣秀吉が催した北野大茶湯がテーマでした。北野大茶湯で奈良の松屋が石鳥居脇の茶席で徐煕の鷺絵と松屋肩衝、存星(ぞんせい)の長盆の「松屋三名物」を持ち出...
木津宗詮5月30日3 分鑑識眼先日、卜翠会の総会の床に掛けた大徳寺大徹宗斗の松本肩衝茶入の画賛です。 松本肩衝茶入之図 古田宗屋居士 (図) 此景ヲ賞 小堀宗甫居士 (図) 此景ヲ賞 千利休居士 (図) 此景ヲ賞 いにしへの人の心のちからをハ 見よとやうつす水くきの跡 前大徳般若閑衲大徹叟(印)...
木津宗詮5月11日1 分明恵上人大徳寺の大綱筆「栂尾明恵上人」です。 栂尾明恵上人 大綱敬書(印) 明恵は鎌倉時代の華厳宗僧で、華厳宗興隆の志を起し,東大寺や神護寺などで修行し、栂尾(とがのお)に高山寺を開き、華厳の中興といわる名僧です。 明恵上人は建仁寺の栄西禅師が宋(中国)から持ち帰った茶の実を譲られ...
木津宗詮5月2日2 分八十八夜八十八夜 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みぢやないか あかねだすきに菅の笠 田中訥言の茶摘図です。覆下(おおいした)の茶園で、頭に手ぬぐいを被り、縞の着物に赤い前掛け姿の女性が茶を摘んでいます。茜襷はしていませんが、この前掛けは茜染めのようで...
木津宗詮4月25日3 分立礼卓高齢になり脚を傷めて正座が出来なくなり、心なくも茶の湯わやめていく方が以前から増えています。そうした方たちが長年にわたり支えてくださったおかげで今日私たちが茶の湯をすることができるのです。なんとかしてそのご恩に報いることができないかと、10年以上前から社中の数寄屋大工の木村...
木津宗詮4月24日1 分銭茶先日韓国の魯先生にかつて韓国で作られていた銭茶を再現したものをいただきました。陸羽の『茶経』にある団茶の製法とほぼ同じものです。ただし韓国の銭茶は火で炙って沸騰した薬缶の湯にに入れて飲まれていたものです。 今回私もかつての製法をもとに作ってみました。木臼は手元の摺鉢、形を作...
木津宗詮4月12日1 分時雨桜月輪寺の時雨桜です。 架蔵に先々代愈好斎の書付になる時雨桜で作られた茶杓があり、一度その木を見てみたいということで月輪寺を訪ねました。 月輪寺は愛宕山の東山腹にあり、月輪関白九条兼実が隠棲した地です。兼実は法然に深く帰依して円澄と号しました。法然と弟子の親鸞が流罪となる際、...
木津宗詮3月31日1 分松平不昧公もとは浄土宗江戸四ヶ寺のひとつ、芝の天徳寺にあった松平不昧公の墓です。関東大震災の被害に会った際、松江の月照寺に移されることになっていましたが、高橋箒庵が護国寺に移転しました。 初代松斎宗詮は大坂木津の願泉寺に生まれ住職として勤めます。四天王寺で雅楽を嗜み、寺を弟に譲り江戸...
木津宗詮3月28日1 分利休忌稽古場の床に松平不昧公の賛になる狩野栄川院の利休居士の画像を掛けてお祀りしました。不昧公の賛は大巓和尚の利休居士像の賛語の写しを認めています。 頭上之巾 手中之扇 制喫茶道 引紛奢人 頭上巾(きん) 手中の扇(せん) 喫茶の道を制し 奢人(しゃじん)を引紛(いんぷん)す...
木津宗詮3月17日2 分私の席昭和15年(1940)4月21日に三千家が施主となり利休居士三百五十年遠忌法要が大徳寺法堂で営まれました。そして法要では表千家即中斎、裏千家淡々斎、武者小路千家愈好斎により献茶が、また、法要の実況放送も行われました。法要の導師は当時大徳寺管長であった大梅窟でした。...