木津宗詮7 時間前1 分総本家駿河屋総本家駿河屋さんの煉羊羹は太閤さんが茶会の引き物として諸大名に配ったとの謂れがあるそうです。利休さんも間違いなく食べたに違いありません。太閤さんと利休さん、茶の湯とはこれ以上関わりの深いお菓子はありませんね。今年の利休忌で使わせてもらいます。...
木津宗詮2 日前3 分向春氷封水面聞無浪 丙子初秋抄書菅家詩句愈好斎(花押) 氷は水面を封(ほう)じて 聞くに浪なし 愈好斎一行「氷封水面聞無浪」です。丙子は昭和11年で10月8日から5日間にわたり北野大茶湯の350周年を記念して「昭和北野大茶湯」が開かれました。この軸はその記念に認められたものです...
木津宗詮6 日前1 分虎嘯而風烈(虎嘯きて風烈しい)戦国時代の大徳寺90世大林宗套(だいりんそうとう)は、三好長慶の帰依を受け、堺の南宗寺の開山となりました。そして武野紹鴎はじめ堺の豪商の帰依や茶人の参禅を受けた禅僧です。後の堺での茶の湯の発展に多大な影響を与えました。 大林の「虎嘯而風烈」の墨蹟です。まことに力強い筆跡で圧...
木津宗詮1月28日2 分逢坂山初釜で桂盆に載せて書院に飾った小堀宗中の箱書きになる加茂川石「逢坂山」です。箱の甲に「逢坂山 加茂川石」内側に、 君が代に逢坂山の石清水木隠れたりと思ひけるかな と記された色紙が貼られています。そして石の裏側には金泥で「逢坂山 政廣」と認められています。...
木津宗詮1月2日3 分柳柳は縄文時代から石斧(せきふ)の柄(え)や漁労用具として用いられました。『万葉集』に、 青柳の枝伐り下ろし齊種(ゆたね)蒔き ゆゆしき君に恋ひわたるかも と歌われています。「青柳の枝を切り取って田に差して神聖な種を蒔くように、畏れ多い身分のあなた様に恋してしまったようだ」。...
木津宗詮2022年12月30日1 分更上一層楼(さらにろうのいっそうをのぼる)売茶翁高遊外の「更上一層楼」です。花は聚光院でいただいた曙椿と白玉椿に錦木、花入は7代直斎作竹一重切「十八公」、前に赤膚焼の茶壺を飾りました。 出典は中国・唐の詩人王之渙(おうしかん)の「登鸛雀楼(かんじゃくろうにのぼる)」です。 更上一層楼 王之渙...
木津宗詮2022年12月19日2 分宗旦・一翁忌平成15年(2003)5月に「智照山慧光寺過去帳」と「智照山墓所石碑配当之図」、「一翁室真浄妙守」等の墓石を発見しました。これらの資料からそれまで一翁の没年が延宝3年(1675)12月19日で、83歳で没したとされていたのが、延宝4年(1676)に72歳で没していたことが判...
木津宗詮2022年12月15日5 分織部灯篭桃山時代、茶の湯の興隆により、新しく茶の湯の露地が生まれ、夜の茶会の為に露地の明かりとして、古社寺の石灯籠が利用されるようになりました。江戸中期の茶人 松本見休による有楽流茶法と点前伝授の書である『貞要集』によると庭に灯篭を取り入れたのは千利休が始まりとしています。実際、茶...
木津宗詮2022年11月30日1 分柳桜園三千家はじめ大徳寺、知恩院等の御用達の茶舗。古くは薬屋であったとのことですが、一指斎門人伊藤勝治が一指斎の勧めで茶商となったのがはじまりです。なお、一指斎没後、20年にわたり絶えていた一翁以来の名跡である「宗守」を、大正7年(1918)6月8日に愈好斎が襲名しました。その披...
木津宗詮2022年11月29日3 分松平定信好みの楽字香合松平定信好みの楽字香合です。桑名藩士中山九左衛門直好が定信から拝領した旨が箱に認められています。 中将様御好ニテ 御自作 世臣中山久左衛門 直好拝領 「御自作」とありますが、作者は青木木米で、定信の「楽」の字型をもとにしています。定信は隠居後は楽翁と号していることから、...
木津宗詮2022年11月21日1 分日本橋二丁目呉服町武者小路千家の4代一翁宗守が、未だ吉文字屋吉岡家で甚右衛門と名乗り塗師屋であった時に、この辺りに江戸の支店を構えていました。吉文字屋は相当規模の大きな塗師屋で、職人の食事に用いるお櫃に車がついていたそうで、調度品をはじめ茶道具、食器等、漆器全般を制作、販売をおこなっていまし...
木津宗詮2022年11月19日1 分茶室の天井茶室の天井を葺く素材。一般的に蒲天井と表記されますが、だいたいは真菰でたまに菅も使われています。真菰と菅は見た目にはそっくりですが、菅は側面が糸鋸のような細かな細かなギザギザがあり、気をつけないと指を切ってしまいます。
木津宗詮2022年11月17日1 分鶴の子大徳寺の大綱和尚の命銘になる「鶴の子」という茶碗です。鶴の子は鶴の卵という意味です。 直径15センチほどの小振りな茶碗で周りに小さなプツプツした突起物が無数にあります。箱の表には「呉須茶碗」と明記されています。この不思議な茶碗のことについて詳しい方に伺うと正体不明とのことで...
木津宗詮2022年11月16日1 分野間玄琢宗旦の末子仙叟が未だ茶湯に携わる前に師事した名医野間玄琢一族の墓地です。仙叟は宗室を名乗る前、玄琢の一字をとり玄室を名乗っていました。裏千家から入家した9代好々斎は、武者小路千家に入る前に3代玄室を襲名しています。裏千家前家元の鵬雲斎宗匠が現在玄室を名乗られています。
木津宗詮2022年11月13日1 分茶篩箱と茶篩茶篩箱は茶臼で碾茶を挽いた時にきめの荒い茶を篩う道具です。長方形の桐の蓋つきの箱に金網を張った掛子が入っていて、鞴に似た手がついています。金網の張られた掛子に茶を入れ、蓋をして手を動かすと細かい茶が下に溜まりる仕掛けになっています。...
木津宗詮2022年11月11日1 分降り蹲踞降り蹲踞は古田織部の好みになる蹲踞です。螺旋状の階段を下りていくと大振りの手水鉢があります。使い手の乗る前石、左右に湯桶を置く湯桶石、手燭を置く手燭石の役石が配されています。
木津宗詮2022年11月7日1 分カメリアシネシンス Camellia sinensisカメリアシネシンス Camellia sinensisとは、ツバキ科ツバキ属の常緑樹。チャの木の学名です。 原産地はインド・ベトナム・中国西南部とされていますが詳細は不明。 カメリアとはラテン語で、シネシンスは中国産という意味です。なお、カメリアとはツバキの木を最初にヨー...
木津宗詮2022年10月24日1 分利休七ヶ条先代有隣斎宗匠筆になる「利休居士七ヶ条」です。 木耳付有馬籠に秋草種々をいれました。 利休居士七ヶ条 花は野の花のように 炭は湯のわくように 夏は涼しく 冬は暖かに 刻限は早めに 降らずとも雨用意 相客に心をつけよ 右 癸亥夏 守(花押)...
木津宗詮2022年10月17日2 分茶の十徳4年前の4月から約1年間、"お茶のスペシャル・イヤー"として京都府南部、宇治茶のふるさと12市町村を舞台に「お茶の京都博」が催されました。そして1年間にわたるイベントを締めくくりとして木津川市のアスピアやましろでテイクオフパーティーが行われました。その茶席を担当しました。そ...
木津宗詮2022年10月12日1 分佐本来風作「月に秋草絵」茶碗佐本来風作「月に秋草絵」茶碗です。漆の金蒔絵の風情を焼物で再現したものです。こうした作風の嚆矢です。 澄子先代家元夫人が可愛がっていた作家で、好みの道具を作ったりしていました。本名が美晴(よしはる)で、夫人はいつも「みはる、みはる」と呼んでいたのが懐かしいです。南宗寺田島碩...