木津宗詮7 時間前1 分冬日江戸時代前期から中期の茶人で、藤村庸軒の次男で、大坂で茶商関東屋を営み、庸軒流の茶道を継承した藤村正員の漢詩「冬日」です。 冬日 愛日愛来暢四支霜辛雪苦已平夷 傍人醉後憑吾説今世恨無對趙衰 正員 日を愛し来たりて、四支(しし)を暢(の)ぶるを愛す...
木津宗詮2 日前1 分道明らけき寺の名夜は明けぬれど心の闇路、照らすは法(のり)の御誓ひ、道明らけき寺の名も、道明寺とて今もなほ、栄えまします御神の、生けるが如き御姿、こゝに残れる物語。 「菅原伝授手習鑑」二段目「道明寺」。無実の罪で左遷される菅原道真公が、配所に赴く前に叔母君覚寿尼公に暇乞いに道明寺を訪れ、悪...
木津宗詮2 日前1 分有明の空有明の空に昇る月のことをいいます。夜が明けかけても空に残っている月。本来は十六夜以降の月の総称で旧暦16日以後の月をさします。別名「二十日余りの月」ともいいます。 秋霜 ことわりに過きても寒し長月の 有明の月にしもやかゝらん 幕末の歌人香川景樹の短冊「秋霜」てす。...
木津宗詮5 日前1 分もみじやイチョウだけじゃない!ナンテン、サクラ、ドウザンツツジ、ニシキギ、ユキヤナギ、ハナミズキ、ツタ、ハゼ、ムクゲ 他の木の紅葉も美しいです 紅葉はもみじやイチョウだけじゃない!
木津宗詮6 日前1 分時雨今朝は格別寒い朝です。 空は晴れていますが、ここ吉田山は気まぐれな冷たい時雨が降っています。大徳寺大綱宗彦の短冊「時雨」です。 時雨 しくれする雲に心ハなかりけり 晴るるふるも風のまにゝゝ 大綱 時雨を降らす雲には何の思いもありません。晴れるのも降るのも風次第なのです。...
木津宗詮11月28日2 分二十四孝(にじゅうしこう)「二十四孝」とは、中国において後世の範として古来有名な孝子24人をいいます。五帝の一人虞舜(ぐしゅん)・漢の文帝・曽参(そうしん)・閔子騫(びんしけん)・仲由・董永(とうえい)・剡子(えんし)・江革(こうかく)・陸績(りくせき)・唐夫人(とうふじん)・呉猛(ごもう)・王祥(...
木津宗詮11月27日3 分臨終この世をばわが世とぞ思ふ望月の かけたることもなしと思へば との歌を詠んで摂関時代の全盛期に廟堂の頂点を極め、朝政を主導してこの世の栄華を極めた藤原道長も、その後体調を崩して病に苦しみ、その原因が怨霊の祟りであるとして出家して浄土信仰に傾倒し念仏を三昧の日々を送りました。そ...
木津宗詮11月26日1 分ドウダンツツジドウダンツツジの紅葉は格別です。見事な紅色です。 なお名前の「ドウダン」は、枝分かれしている姿が結び灯台の脚に似ていることから、「トウダイ」が転じて「ドウダン」になったとのことです。
木津宗詮11月25日1 分有隣斎好 膳所焼雲錦茶碗昭和45年の大阪万博の呈茶席で用いるのに有隣斎が好んだ膳所焼雲錦茶碗。 膳所焼特有の鉄釉の中に金線で紅葉を描き、そのの中に桜の絵がが細かく置かれています。地味ではありますがとても品格が漂う茶碗です。
木津宗詮11月24日1 分赤膚焼立鹿茶碗春日大社元宮司水谷川忠麿好みの赤膚焼立鹿茶碗。御本立鶴茶碗をもとに、鶴を春日大社の神鹿を下絵とした馬上坏です。 水谷川忠麿は公爵近衛篤麿の四男で、大叔父で藤原氏の氏神である春日大社元宮司の男爵水谷川忠起の養子となりました。忠起没後は男爵となり貴族院議員に就任します。...
木津宗詮11月23日2 分新米子どもの頃に母親が食事の時に「今日は新米やで」と特に言われた時、なにかとても嬉しく、美味しいご飯を食べたことを思い出します。「古米」という言葉を久しく耳にしなくなりました。美味しいコメのなる稲の品種改良が進み、またその保存の技術が向上し、また美味しいご飯を炊くことのできる炊...
木津宗詮11月22日2 分今日は最も大切な日のひとつ!元大徳寺僧堂師家川島昭隠老師の「大燈国師五条橋下図」です。 乞者堆裏 被席生擒 依貪甘瓜 乞者(こつしゃ)堆裏(たいり) 席(むしろ)を被(かぶ)り生擒(せいきん)せらる 甘瓜(てんか)を貪(むさぼ)るに依って 髭を伸ばし乞食のような貧しい身なりで眼光するどい大燈国師は右手...
木津宗詮11月20日1 分11月20日 稽古場の床本日の稽古場の床は先々代家元愈好斎の「山色夕陽時」です。花は大神楽と菊を竹一重切に入れました。 『虚堂録』が出典で、 泉声中夜後 山色夕陽時 泉の音は真夜中過ぎから夜明け前の周りが静まっていている時がいい。山の色は夕日があたっているその時間がもっとも美しい。沈む夕陽が山...