木津宗詮2020年1月12日2 分寒今年は1月6日が「小寒」、そして二十四節気の24番目である「大寒」が20日です。 小寒から立春までの30日間を寒の内といい、大寒はそのそのまん中にあたり一年で最も寒冷の厳しいころとされています。むかしから寒の内に汲んだ水は雑菌が少なく体にも良く、そして腐らないといわれていま...
木津宗詮13 時間前1 分7月2日 稽古場の床大徳寺の大綱和尚の白紙賛です。 すゝしさハたくひも更に夏山の 峯より落る音なしの瀧 八十六翁大綱 本紙の余白が絶妙な余韻を残して峰から落ちる滝飛沫に見立て、見る人に想像させることによって涼味を感じさせます。心の目で何もない真っ白な空間に大自然の情景を感じ、音のない静寂そのも...
木津宗詮17 時間前1 分十返りの花十返りの花とは松の花の別名を言います。松は百年に一度、すなわち千年に10度花が咲くとされています。 十返りを今日より松が枝に ちぎるも久しよろづ代の春 『新後拾遺和歌集』
木津宗詮1 日前2 分2代得浅斎宗詮6 家族の不幸前出の通り、松斎(歓深院降龍)が安政2年(1855)の元旦に亡くなり、2月5日に得浅斎は喪主として本葬を勤めている(『鐘奇斎日々雑記』)。この時、得浅斎は36歳の働き盛りであった。同十二日には恒例の利休忌を卜深庵で勤めている。得浅斎は喪中にも関わらず、流祖利休の追善の茶会を...
木津宗詮2 日前2 分お祓昨年のゴールデンウィークに社中の大学生と中学3年になる息子と三人で、自宅から伊勢の内宮まで約150キロを歩いて参宮しました。その後、鈴鹿市の椿大神社の稽古で嘉永3年に大坂鰻谷の住友本家に降ったお祓(剣先祓・お札)を絵師の森一鳳が描いた軸を床に掛けました。するととても不思議な...
木津宗詮3 日前3 分6月30日 稽古場の床冷泉家中興の祖為村の短冊「荒和祓(あらにとはらえ・あらにぎはらえ)」を掛け、額紫陽花と梅雨草を鉈籠に入れました。 荒和祓 みそき河なかはをこゆるとし波の 早瀬になかすあさの大ぬさ 為村 「夏越の祓」・「水無月祓」のことを詠んだ和歌です。...
木津宗詮4 日前1 分三上山紫式部が大津の打出で、 打ち出でて三上の山を詠れば 雪こそなけれ富士のあけぼの と和歌に詠んだ通り、そのなだらかな美しい稜線の姿から「近江富士」と呼ばれ、また、古来、近江国の歌枕の一つとして多くの人に和歌に詠まれてきた山です。また、俵藤太がこの山を七巻半した大ムカデを弓矢で...
木津宗詮4 日前1 分六月 大本日6月29日は、令和4年旧暦6月朔日「大」です。 昨日28日に近畿地方はじめ各地で梅雨明けとのことです。いよいよ夏本番となりました。みなさま熱中症などにご用心の上、くれぐれもご自愛なさってください!
木津宗詮4 日前2 分2代得浅斎宗詮5 伊達千広と睦奥宗光得浅斎は治宝の信任が厚く寺社奉行や勘定奉行等の要職を歴任し、紀州藩の藩政改革を推進し、藩内の尊皇論を主導した伊達千広(だてちひろ)・宗広(むねひろ)と親交を結んでいた。なお、宗広は治宝没後、その側近が一斉に粛正された時、田辺(和歌山県田辺市)に10年近く幽閉され、のち脱藩し...
木津宗詮5 日前3 分因縁文化12年(1815)、初代松斎宗詮は名古屋で住宅・茶室の建築に携わり、同地の材木商鈴木惣兵衛(材惣5代目)から材木一式を譲られて大坂梶木町に家を建て武者小路千家の茶の湯の稽古を始めました。後に尾張徳川家の招致により、紀州家の許しを得て、2年にわたり名古屋で武者小路千家の茶...
木津宗詮6 日前2 分幽玄『平家物語』の巻頭の、 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす。 この世の「無常」を説いた古今東西の名文の一つです。 ここに書かれている「沙羅双樹」は、釈迦が入滅したときにその臥床の四辺にあった樹で、...
木津宗詮6 日前1 分荒物屋荒物とは粗雑な道具類のことで、小間物に対していいます。荒物屋は荒物を売る店のことで、古くは江戸初期に旅の荷造りの薦(こも)・渋紙・縄・細引なとを売っていました。その後、多くの日用雑貨、ざるや桶などの台所用具、草鞋、箒、塵取り、線香、蝋燭等が売られました。...
木津宗詮6月25日2 分ホトトギスホトトギスは、杜宇、杜鵑、時鳥、子規、不如帰、蜀魂、田鵑などたくさんの異名があります。ウグイスの巣に自分の卵を産んで育てさせる”托卵''の習性で知られています。 5月ごろ、インドや中国南部から日本まで渡ってきます。ツバメなど他の渡り鳥よりも渡来時期が遅いそうで、托卵するのに...
木津宗詮6月24日1 分雨奇晴好(うきせいこう)雨奇晴好。「奇」は普通とは違ってすぐれている意で、晴でも雨でもすばらしい景色のことをいいます。 出典は宋の詩人蘇軾(蘇東坡)の「飮湖上初晴後・(湖上に飲(うたげ)せしが、初めは晴れ後は雨ふれり」です。 水光瀲灔晴方好 山色空濛雨亦奇 欲把西湖比西子 淡粧濃抹総相宜...
木津宗詮6月24日2 分2代得浅斎宗詮4 紀州家仕官得浅斎も松斎同様紀州家に仕官している。その時期の詳細は不明であるが、『高松侯上使日記』の嘉永7年(1854)1月二25日に「宗隆主人屋敷ニ出勤」とあり、どのような役職に就いていたかはわからないが、この時点で確かに紀州家に仕えていたことがわかる。...
木津宗詮6月23日1 分目利き―谷松屋八代戸田露吟覚書―木津宗詮 著 江戸時代から続く関西屈指の道具商で、松平不味公出入りとしても知られる谷松屋戸田商店。八代目露吟は特に目利きとして有名である。 その露吟による古き良き時代の大坂伏見町の回顧録であり、自身の生い立ちと目利き修行、明治初年の茶道具の動向などを、後の子孫のために書き残...
木津宗詮6月23日1 分107年の謎 プサン迫間別邸の調査記録木津宗詮 著 韓国に残された数寄屋建築。明治42年の姿を追い求め、数奇な運命を辿った建物の謎に挑んだ日本人がいた。これは、その記録である。 販売価格(税込): 2,750 円 書籍購入ご希望の方は、お問合せより書籍名、冊数、連絡先、お名前をお伝えください。...
木津宗詮6月23日1 分6月23日 稽古場の床江戸時代後期の公家千種有功の「蛍」の詠草わ掛けました。前に鶴首花入に鉄線を入れ、青磁香炉とともに利休形の丸卓にのせました。 正三位有功 とふほたる舞 しと はかり見すく すハ おもひなきみの うへにこそ あれ
木津宗詮6月22日3 分過去の眼かつてミャンマーやインドネシアなどの東南アジア諸国をはじめ中国・台湾・韓国の田舎に行って、言葉もろくにわからないのに現地の人と交流しました。招待も受けていない結婚式や長寿の祝の会に飛び込みで参加しました。スラムで子供と遊んだり夜中に酒盛りをしたり。親切にしてもらったトゥクト...