元和5年(1619)年、63名のキリシタン信者が捕らえられ、小川牢屋敷に投獄されました。そのうち8名は、劣悪な収容環境のために獄中で死亡したといわれています。徳川秀忠が処刑することを命じ、52名のキリシタンが9台の大八車に積み込まれて市中引き回しの上、鴨川の正面橋のあたりに連れて来られました。そしてこの地で27本の十字架に掛けられ火刑となりました。刑場には、入洛した秀忠をはじめ、家臣や町人の見物者が大勢集まっていたそうです。
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この「元和キリシタン殉教地」の石碑は平成6年(1994)に立てられたものです。なお、平成19年(2007)、ローマ法王庁は日本の殉教者188人に聖人に次ぐ地位で徳と聖性が認められた人である「福者」の称号を与えています。そのなかには京都の殉教者の名も加えられています。