先代家元有隣斎の茶碗の画賛「吸盡西江水」です。花押は茶碗の高台脇に記されています。花は白玉と神楽、水木を竹一重切花入に入れて床柱に掛けました。
吸盡西江水 守
吸盡(きゅうじん)す西江(せいごう)の水
利休さんが古渓(こけい)和尚に参じて、この語により悟りを開いたとされています。 中国唐代の龐(ほう)居士が馬祖(ばそ)禅師に参禅して訊ねました。 「萬法(ばんぽう)と侶(とも)たらざるもの、是なん人ぞ」 馬祖禅師は直ちに、 「汝が、一口にあの西江の水を一滴も残さずに飲み干してきたなら、なん人であるか教えてあげよう」 と答えました。 萬法と侶たらざるもとは、何事にもとらわれない、あるいは依存しない、絶対者のことで、仏、悟った人のことです。大河の水を飲み尽くすというのは、宇宙全体を飲み尽くした境涯で、二元対立の世界を呑み尽くし、天地・万物と一体になる境涯のことで、真実の自己のことです。悟りの境地というのはこのような境涯をいうとのことです。 ことばや理屈ではわかります。でも本当のところはまったくわかりません。茶席で使う軸には禅語が多いので閉口します。 なお、有隣斎はお茶をいただく時、最後にすい切ることから、この語に掛けて賛にしたのでしょう。 2月28日は利休さんの命日で、家元の利休忌は、今月28日に千家の菩提寺大徳寺聚光院で営まれます。
コメント