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四つの御廟・泰勝寺跡

 明治まで泰勝寺は肥後熊本藩主細川家の菩提寺でした。明治初年に廃寺となり、同家の別邸に改められました。現在はその敷地が細川家の屋敷部分と庭園、墓地とに分かれ、墓地は「熊本藩主細川家墓所」の名称で国から史跡の指定を受け「泰勝寺跡」といわれています。なお、現在は立田自然公園として一般に公開され、市民の憩いの場としても親しまれています。泰勝寺跡は国指定史跡にも指定されています。

 「熊本藩主細川家墓所」には細川家初代藤孝(ふじたか)夫妻と二代藩主忠興(ただおき)とガラシャ夫人の墓があり「四つ御廟(ごびょう)」といわれています。また、忠興は武人であるばかりでなく、利休の高弟「利休七哲」の一人でもある大茶人でした。園内には忠興の原図に基づいて復元された茶室「仰松軒(こうしょうけん)」などの茶室があります。茶室「仰松軒」にある手水鉢は、京都で細川忠興が愛用したもので、歴代の藩主は、この手水鉢を参勤交代の道中にも持参してその風情をめでたといわれています。





























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