大徳寺開山忌献茶副席

大徳寺の開山大燈国師(宗峰妙超)は、11歳で書写山で天台学を学びました。のち禅に志し、高峰顕日に師事し、続いて宋から帰朝した大応国師(南浦紹明)の門に投じてその法を継ぎました。大応国師の死後,東山の雲居庵に隠棲し,のちに花園上皇の帰依を受け洛北紫野に大徳寺を開きました。花園天皇は大燈国師を召してしばしば問法し、のちに「興禅大燈国師」の国師号を贈りました。また,後醍醐天皇の帰依も受け,「高照正燈国師」の号を賜り、同天皇から「本朝無双の禅苑(ほんちょうむそうのぜんえん)」として、南禅寺と並び京都五山の上に置かれまました。ちなみに大徳寺はのちに五山制からはずれ、室町時代には、幕府の保護を辞退して在野(林下)の立場をつらぬきます。

 建武4年・延元2年(1337)12月22日、大燈国師は座禅ができない状態の左膝を傷折して結跏趺坐して56歳で遷化しています。なお、そのときの流血は衣を染めたとのことです。

 今日、大徳寺の開山忌はひと月ずらして11月22日に営まれています。その法堂での法要で三千家輪番により献茶が奉仕されています。本年は武者小路千家の当番で、家元不徹斎宗匠が炭点前、随縁斎若宗祥が濃茶・薄茶を点てて大燈国師に供えられました。卜深庵は一翁の参禅の師である玉舟和尚の開山になる芳春院内高林庵で副席を担当しました。一翁と玉舟和尚、そして武者小路千家と大徳寺にちなむ道具組みで濃茶を差し上げました。


                  会 記