建国記念の日

今日は建国記念の日です。床に尾形月山の神武天皇像を掛けました。

戦前は四大節のひとつである紀元節で、『日本書紀』に神武天皇が橿原宮で即位した日として定められた祭日です。

神武天皇は第1代目に数えられる天皇です。神武という名は8世紀後半に贈られた中国風の諡号(しごう)で、『日本書紀』によれば、国風諡号は神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)です。諱(いみな)は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)です。

『日本書紀』によると、45歳のとき、軍船を率いて日向を出発し、瀬戸内海を東へ進み、難波に上陸して大和に向かおうとしましたが、土地の豪族長髄彦(ながすねひこ)の軍に妨げられ、方向を変え、紀伊半島を迂回して熊野から大和に入りました。土豪たちを征服し、ついに長髄彦を倒して、日向出発以来、6年目で大和平定しました。そして辛酉(かのととり)の年元旦に畝火(うねび・橿原市)の橿原宮で初代の天皇の位につき、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と讃えられました。

記紀における神武天皇は、神代から人の代への接点に位置する神話的な人物であり、即位の辛酉の年(紀元前660年)は中国の讖緯(しんい)思想によってつくられ、事績には神話的な色彩が濃く、神話上の天皇とみるのが一般的です。しかし、神武天皇の東征は、皇室の遠い祖先が西方からきたという記憶が反映しているとみる説もあります。また他の神話的な内容も何かしらの事実に基づいた話しで、まったくの架空のことではないのだとわたしは考えています。いずれにしろ皇室の始祖にあたる特定の人物は確かに存在したのは事実です。

神武天皇の即位は、明治6年(1873)に2月11日に改められ「紀元節」とされました。そして戦後、連合国軍最高司令官総司令部により廃止され、昭和41年(1966)に、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨で「建国記念の日」を定める国民の祝日に関する法律の改正が成立しました。翌年2月11日実施され今日に至っています。なお、奈良県の橿原神宮では、毎年、勅使参向のもと御祭神の神武天皇の古を偲び、建国創業の聖業を景仰する紀元祭が執り行われています。



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