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執筆者の写真木津宗詮

注連縄(しめなわ)

 注連縄は標縄とも七五三縄とも書きます。そのいわれは天照大神の弟である須佐之雄命(すさのおのみこと)が高天原で大暴れしたときに天照大神が天の岩戸に隠れてしまいました。太陽神である天照大神が姿を隠してしまったために世の中が真っ暗な暗黒世界になり、これに困った八百万の神様は何とか天照大神を岩戸から連れ出すために、岩戸の前で常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)・鶏を集めて鳴かせ、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊りました。すると、高天原が鳴り轟くように八百万(やおよろず)の神が一斉に笑いました。するとその騒ぎを何事かと思った天照大神が岩戸をほんの少し開いてのぞいたとき、天手力雄命(あめのたじからおのみこと)が天照大神を岩戸から引きずり出して再び世界に明るさが戻りました。そして二度と天照大神が岩戸に入れないよう太玉命(ふとだまのみこと)が注連縄で戸を塞いだのが起源とされています。  神社は勿論ですが、山にある大きな岩や巨木、海の奇岩、湧水地などに注連縄飾られるのは、そこには神様が宿っているとされているからです。注連縄は不浄なものや災いをもたらすものが入り込まないように結界を張る意味があります。そこで注連縄が縄が張り巡らせられた内側は神の領域で神聖で清浄な空間であることを示しています。注連縄を張って足を踏み入れる事を禁止している禁足地もあります。

 正月松の内に注連縄を門口に張るのは、年神様がいる神聖な場所であることを表す結界であるとともに外部から不浄なものが入ってこないようにする役割をになっています。そこでわが家は年神様を迎えるのにふさわしい場所であることを示しているのです。なお、最近は伝統的な注連縄に加えておしゃれな注連縄が門口にかけているのをよく目にします。

 近年、正月に注連縄のない家が増えています。なにか残念な気分です。伝統的なものが年々失われていることを実感します。











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