首塚大明神

京都と亀岡の境の老ノ坂の酒呑童子の首塚の碑文です。

平安時代初期(西暦八百年頃)丹波の国大江山に本拠を構えた酒呑童子が、今日の都へ出て、金銀財宝や婦女子をかどわかすなど、悪行の数々を行うので人々の心に大きな不安を与えていた。

天子(天皇)、源頼光等四天王に命じ酒呑童子とその一族を征伐するよう命じられた。源頼光等は大江山の千丈ヶ嶽に分け入り苦心の後、酒呑童子とその一族を征伐し酒呑童子の首級を証拠に京の都へ帰る途中この老の坂で休憩したが、道端の子安の地蔵尊が「鬼の首のような不浄なものは天子様のおられる都へ持ち行くことはならん」と云はれたが相模の国の足柄山で、熊と相撲をとったという力持ちの坂田の金時が証拠の品だから都へ持って行くと言って酒呑童子の首を持ち上げようと力んだが、ここまで持ってきた首が急に持ち上がらなくなった。

そこで一行は止むを得ずこの場所に首を埋めて首塚をつくったと伝えられている。酒呑童子が源頼光に首を切られるとき今までの罪を悔い、これからは首から上に病をもつ人々を助けたい、と言い残したと伝えられ首塚大明神は首より上の病気に霊験があらたかである。

昭和六十一年三月 宗教法人首塚大明神社務所


平安時代、都に鬼が出没して金銀を盗み、婦女をかどわかす悪行の数々をおこなっていました。一条天皇は陰陽師安倍晴明に占わせたところ、丹波国の大江山に住む酒呑童子とその手下の鬼の仕業であるとつきとめました。天皇は武勇に名高い源頼光とその家来である渡辺綱と坂田公時、碓井貞光、卜部季武の四天王や藤原保昌に酒呑童子を退治することを命じます。頼光らは山伏を装い鬼の居城を訪ね、酒呑童子たちに毒酒を飲ませて寝込みを襲い、童子切りという名刀で酒呑童子の首を切り落とします。頼光たちは討ち取った首を京へ持ち帰りますが、老ノ坂で道端の地蔵尊(子安地蔵)に「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告され、それきり首はその場から動かなくなってしまいました。そこで頼光は童子の首をその地に埋葬し、後世、首塚大明神として祀られています。