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執筆者の写真木津宗詮

2代得浅斎宗詮1 生い立ち

 得浅斎(とくせんさい)は文政5年(1822)播磨国高砂(兵庫県高砂市)の善立寺(ぜんりゅうじ)13代正厳(しょうごん・天保13年10月28日没、49歳)と妙厳(みょうごん・房枝)との間に生まれている。兄にのちに善立寺14世となる正隆(しょうりゅう)がいる。何歳の時に松斎の養子になったのかは不明であるが、松斎には仙次郎(寿仙)という息子がいたが、天保2年(1831)6月28日に亡くなっている。得浅斎が家元に入門しているのが天保6年(1835)1月12日で、この間に松斎の後継者として木津家に入家したものと考えられる。得浅斎が10歳から14歳までの間のことである。

 母妙厳は得浅斎3歳の文政7年(1824)8月二22日に29歳で亡くなっている。願泉寺と善立寺は浄土真宗本願寺派で宗派を同じくするが、姻戚関係についてはまったく不明である。といって何の縁もない家から養子を迎えることは考えにくく、なにがしかの縁があったものと考えられる。そして実母が早く亡くなっていることも関係していると思われる。いずれにしろ得浅斎は10代の前半に松斎のもとで武者小路千家の茶の湯を仕込まれたのである。

















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