もらい湯



 今から想像できませんが、むかしは風呂のない家がたくさんあり、近所の親しい家の風呂に入らせてもらう習慣がありました。

 教育者、日本画家、書家、学校法人跡見学園の創設者である跡見花蹊は幕末に摂津国西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)に生まれました。

 もともと跡見家は木津村の庄屋でしたが没落し、父重敬の時には細々と寺子屋を営んでいました。跡見家は初代の出である願泉寺の近くに住まいしていました、そうした関係から重敬は初代松斎と二代得浅斎に師事し、また、花蹊も中之島で塾を営んでいた時には得浅斎に茶の湯の指導を受けていました。得浅斎には花蹊と似たような年頃の娘が二人いて特に花蹊を可愛がり、しばしば木津の家で食事をしたり、風呂のもらい湯や遊山に伴ってい、まさに娘のように慈しみ、家族ぐるみの付き合いをしました。

 跡見家の菩提寺唯専寺は願泉寺と道を挟んだ向かい側にあり、跡見家の墓を今も跡見の一族である住職が護っています。



  跡見花蹊

  跡見家歴代の墓

  跡見家の菩提寺唯専寺

  木津家歴代の墓


  木津家2代得浅斎


  木津家の菩提寺願泉寺


  梶木町の津家跡(中央区今橋4丁目・現大阪倶楽部)


跡見塾のあった中之島(現大阪市北区中之島)




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