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三門香語



 甃石苔封四百春

 朱楼影像眼光新

 抛筌謂力囲希咄

 名利共休茶聖人


 甃石(しゅうせき)苔を封(ふう)じ四百春(よんひゃくはる)

 朱楼(しゅろう)の影像(ようぞう)眼光(がんこう)新(あらた)ない

 筌(せん)を抛(なげう)って謂(い)う力囲希咄(りきいきとつ)

 名利(めいい)共(とも)に休(きゅう)す茶聖人


 大徳寺の境内の石畳も苔が覆っています。ちょうど利休居士が賜死(しし)してから四百年の春がやってきました。三門楼上に安置されている利休居士像は堂々たる体躯(たいく)。しかも行脚(あんぎゃ)の姿。杖を持ち雪駄ばきの立像の姿。眼光は烱々(けいけい)として居士の「日々新たなり」の姿です。抛筌(ほうせん)とは居士の斎号で「一味の話互(わご)に打(だ)せんと要(よう)せば一筌(いっせん)を抛(なげうっ)て来れ」の句からで、「力囲希咄」は居士の辞世の一節で「言語絶慮(げんごぜつりょ)の一叫(いっきょう)」で「エイー!」ということです。七十年の生涯、最期の最後まで力一杯茶の真髄に生きた日々でした。まさに「力囲希咄」の一句によって利休居士の茶の大道は開拓されたのです。名誉とか物とかお金とかにいっこう気にしない、欲を一切を捨て切った「一無位(いちむい)の真人(しんじん)」であった茶の大道の人利休居士でした。

 平成2年(1990)2月28日、大徳寺聚光院、そして三門金毛閣楼上に安置されている利休居士像に三千家家元により法要が営まれ茶が献じられました。その時の導師を勤めた聚光院前住職小野澤寛海和尚の拈香法語(ねんこうほうご)・香語(こうご)です。拈香法語は読経などの時に、導師が指先で香をつまんで香炉に焚く時に(拈香)唱える句をいいます。

 天保11年(1840)の利休居士二百五十回忌の時に黄梅院の大綱和尚が利休居士は三門に二層を寄進した大檀越(だいだんおつ)ということで一山の評席で三門での法要を提案しますが営まれませんでした。その後昭和15年(1940)の三百五十回忌でも行われず、四百回忌でようやく三門楼上に安置されている利休居士像での法要が営まれました。









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