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執筆者の写真木津宗詮

古人の心

かつてミャンマーやインドネシアなどの東南アジア諸国をはじめ中国・台湾・韓国の田舎に行って、ことばもろくにわからないのに現地の人とと交流する。招待も受けていない結婚式や長寿の祝の会に飛び込みで参加する。スラムで子供と遊んだり夜中に酒盛りをしたり。親切にしてもらったトゥクトゥクの運転手の家に押し寄せて大切な鶏を潰してご馳走になる。酒が飲めない寺の山でポーターの家に上がり込んでポーターの青年たちと蝋燭の灯火の中で蛇料理を肴に闇酒を飲っむ。、電気も電波もない集落にホームステイするなど、数えきれない体験をしました。周りの人から茶の宗匠とは思えないことをしてると思われながらも、毎年同じようなことをして一人悦に行っています。

私は大学生だったときに友だちに勧められて茶道部に入りました。私に勧めてくれた友人は早々に辞めてしまい、それほど乗り気でなかった私は卒業するまで在籍しました。そし先々代木津柳斎宗詮に入門し、卒業後、家元で住み込み修行をし、縁があって7代宗詮を襲名して今日に至っています。この道を生涯の仕事に選んだのは、まず何より茶道が好きだったのは当然です。そしてなにより利休さんや宗旦さん、一翁さんはじめ過去の宗匠方の茶の湯をより深く知りたい、今は過去の人になった宗匠方に少しでも近づきその茶の湯をこの身で感じたいとの思いがあったからです。

ところが現実には歴史が降ると政治も社会も経済もすべてが大幅に変わり、風俗や習慣もすべて過去のものとは大きく違うものとなっています。特に風俗や習慣はテレビなどのメディアの普及により地域性や個性は失われて画一化してしまいました。最後の砦ともいうべき葬儀も公益社はじめ葬儀社にすべて依頼することにより地域性がなくなりました。私の子供の頃は葬儀社もありましたが、親戚や近所の人がみんな協力して葬儀を行なっていました。衣食住すべてに多かれ少なかれ地域性がありました。

だからかつての宗匠方の時代とはかけ離れた現在社会に生きている人の目で見るもろもろの制約ー今の価値観の枠組みに流しこんで過去を解釈してしまう——から可能な限り自由になって、同時代の眼にできるだけ近い視線に立って見てみたい。日本から消えてしまったものがアジアには今も残っている。国や民族は異なるけれど、人類の発展過程という観点でみれば同じような段階を私たちの国も歩んできた。だから見えるものがかならずある。私がそうした人々と交わるのは、そうした行為がおもしろいからです。とくに過去の史料を同時代の文脈で解釈できたと感じる瞬間の喜びはとても大きい。


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