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久米舞

昨日の神武天皇像にちなみ、本日は戦前の日本画家新見虚舟の久米舞(くめまい)図を掛けました。昭和15年(1940)に紀元二千六百年を記念して描かれた絵です。

久米舞は、宮中の儀式で舞われる国風歌舞(くにぶりのうたまい)の一つで、現存する日本最古の歌舞とされています。神武天皇の東征の際に、 兄猾(えうかし)を征討したとき、従者の久米氏が歌った勇猛な 久米歌が、『古事記』『日本書紀』にみえます。久米舞は、これに笛と和琴 (わごん) の伴奏と舞をつけた勇壮な舞でした。

久米氏は大伴連(おおとものむらじ)のもとで戦闘に携わる集団でした。古代には久米氏の氏人が舞い、久米氏滅亡ののちは大伴、佐伯両氏に受継がれ、大伴氏が琴を弾き、その支族の佐伯氏が刀を持って舞いました。雅楽寮が設置されると、久米舞もここで教習され、宮廷の式楽として様式化されていきます。

もともとは久米舞は大和王権に服属した古代の久米氏の風俗歌舞で、大王への服従の誓約として行われたものです。

巻纓 (けんえい) の冠、老懸(おいかけ)、紅袍 (こうほう) に剣を身につけた武官のいでたちの4人の舞人が、剣を抜き、敵を斬る所作などを行なう戦闘舞踊の面影がうかがわれる舞です。

東大寺大仏開眼供養では20人の舞人によって演じられました。平安時代になると大嘗会(だいじょうえ)の豊明節会(とよあかりのせちえ)に行われることが慣例化します。

室町時代に応仁の乱により一時断絶しますが、文政元年(1818年)の 仁孝天皇即位の大嘗会で、篳篥(ひちりき)、和琴、笛による四人舞として再興されました。戦前は大嘗祭や 紀元節の際などに舞われていました。

戦後は橿原神宮などで演じられ、また平成の即位の礼では、大饗の儀に続いて、五節舞とともに列席者へ披露されています。

写真は私が学生時代に雅楽をやってた時分に、京都梨木神社の例祭で久米舞を舞った時のものです。この時、一緒に舞った人たちとは今も親しくお付き合いさせていただいています。みんな瑞々しくてとても若いです。悲しいかな今は見る影もない立派なおっさんになってます。









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