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執筆者の写真木津宗詮

紫陽花

あぢさゐの八重咲くごとく弥(や)つ代に

をいませ我が背子見つつ偲はむ 

                    橘諸兄


 紫陽花の花が八重に咲くように、あなたの家の繁栄が8代も何代もいついつまでも栄えてください。そして花を眺めては貴方を慕い思い出しましょう。天平勝宝7年(755)5月、丹比国人邸での宴に橘諸兄が招かれ、紫陽花に寄せて宴の主人である国人の長寿を言祝いで詠んだ歌です。国人邸の庭には額紫陽花ではなく八重咲きの紫陽花が咲いていたようです。

 鎖国下の江戸時代、長崎にオランダ人と偽ってオランダ商館員の一員として来日したドイツ人医師で博物学者のシーボルトがアジサイをオランダに持ち帰って品種改良しました。15世紀のヨーロッパ諸国は、世界中に富を求めて軍艦を派遣し、船員の中に必ずプラント・ハンターがいました。プラント・ハンターは、経済価値のある資源になるような植物をたくさん採集することがその任務でした。当時、植物は衣食住すべての資源の元であり、また医薬品や原材料にもなりました。このようにして世界各地の原産地からいろんな植物が拡散したのです。なお、シーボルトが発見したアジサイの「シチダンカ」は、六甲山系に自生する「ヤマアジサイ」の一種です。シーボルトの著書『日本植物誌』に紹介されてその名が知られるようになりますが、実物を見たという日本人が現れず、長らく「幻のアジサイ」と呼ばれていました。

  オランダに戻ったシーボルトはライデンにオランダ王立園芸振興協会を設立し、日本から収集した植物を育てて品種改良に努め、ヨーロッパ各地に433種の苗の頒布を行いました。アジサイもその一つで、べニガク、フィリべニガク、ガクアジサイがあったと言われています。なお日本原産のガクアジサイやホンアジサイを「日本アジサイ」といい、ヨーロッパで品種改良されたものを「西洋アジサイ」とよんでます。

 アジサイ・紫陽花の学名「Hydrangea」で、アジサイ科アジサイ属の植物の総称です。Hydrangeaは「水の容器」という意味で、いかにもピッタリな名称です。「ヒドランジア」あるいは「ハイドランジア」また、英語では「Hydrangeia・ハイドレインジア」と呼ばれています。シーボルトはアジサイ属の新種に自分の日本人妻「おタキさん」の名をとって「Hydrangea Otakusa」と命名します。ところがシーボルト同様、長崎のオランダ商館として来日したスエーデンの植物学者で博物学者、医師のカール・ツンベルクが、シーボルトより前にアジサイに学名をつけてヨーロッパに紹介していました。シーボルトのアジサイはその同一種で植物学上有効名ではないとされました。それにもかかわらず牧野富太郎が各種の植物書で誤った記載をしたことにより、植物学的な有効名であるかのような誤解が広まり物議をかもしたそうです。日本名の「アジサイ」の「さゐ」は、「真藍」の「さあゐ」が変化したものだそうです。藍色の沢山集まったを意味する「集真藍」が訛ったものという説があります。なお、花の色がよく変わることから、「七変化」「八仙花」とも呼ばれています。漢字表記に用いられる「紫陽花」は、唐の詩人白居易の詩に詠まれた別の花の名を、平安時代のの学者源順が誤ってこの漢字をあてたことから広まったといわれています。

 京都鶴屋の「紫陽花」です。紫色に染めた葛に道明寺を混ぜ、黄餡を包んで茶巾絞りにした、まことに涼しげな美味しいお菓子です。梅雨のこの時期、雨に引き立ててられて色を濃くする健気な姿に、憂鬱な季節を慰められるのが紫陽花の花です。



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