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鑑識眼

先日、卜翠会の総会の床に掛けた大徳寺大徹宗斗の松本肩衝茶入の画賛です。

松本肩衝茶入之図

古田宗屋居士 (図)

此景ヲ賞

小堀宗甫居士 (図)

此景ヲ賞

千利休居士  (図)

此景ヲ賞

いにしへの人の心のちからをハ

見よとやうつす水くきの跡

前大徳般若閑衲大徹叟(印)

松本肩衝茶入之図

古田宗屋居士 (図)

此の景を賞す

小堀宗甫居士 (図)

此の景を賞す

千利休居士  (図)

此の景を賞

いにしへの人の心の力をば

見よとや写す水茎の跡

利休と織部、遠州がそれぞれ「松本肩衝」の景を賞玩した箇所を写したもので、歌はむかしの人の心の力をこの絵から会得しなさいという意味です。

三人三様。同じ茶入を見てもこれほど違います。ここにそれぞれの美意識、茶の湯の相違を見ることができます。3人とも天下の大茶人ですが、それぞれが見てきたもの、触れてきたもの、体験、置かれた位置、そしてその境遇がすべて反映し、その鑑識眼を育て上げたのです。

鑑識眼とは物の良し悪しや真贋、鑑別や鑑定をする眼力のことです。高度な鑑識眼は数多くの良いもの、本物を見ることにより養われます。

親しくしている多くの文化財に関わる仕事に携わっている数奇屋工務店では、決して職人に材木の値段を教えずその加工に当たらせています。値段を教えると職人がビビってしまっていい仕事ができないのだそうです。常日頃、最高の材料を見せ、それを触らせ、仕事をさせるそうです。一つ間違うと何十万、何百万の損出になることもあるとのことです。でも良くない材料で仕事をさせると技術は上達しないそうです。見て見て見つくし、触って触って触りつくして、本物のなんたるかを知る。最高の材料を使うからこそ卓越した技を身につけることができるとのことです。

物を見る目も人を見る目も同じなのかもしれません。人を見る目がないのは、その人の評判や外見、履歴、社会的地位、財力、そして言葉や態度だけで判断することが原因だと思います。これらは目で見て、耳で聞いてその人の外面のみを見ているからです。いかにもいい人だと見せることが詐欺師の基本です。その人の真の姿を見抜けずに自分の思い込みだけで判断して騙されるのです。そういう意味では人も物も見る目・鑑識眼を磨くことがとても大切なことなのです。その目を身につけるには数多くの本物を見なければ自分のものにはできないものなのです。

常に良いものを見ることはなかなか難しいことです。でも良くないものばかり見ていたのではいつまでたってもレベルは上がらない。鑑識眼のレベルが低ければ、そのレベルを越える作品の優劣が決められない。山を下から見上げても、どれが高いか区別できません。逆に近くの山が高く見え、どの山も同じように見えてしまいます。山の高さは自分自身が登ってみて初めてわかります。高い位置に立つことにより初めて比較でけるのです。鑑識眼も同じでそのレベルを高くしなければ誤った結果を招くことになります。物も人もすべて同じことで、極めるということはまことに難しいことです。そういう意味では一生修行です。

ちなみにこの茶入は、松本珠報(しゅほう)が所持していたので「松本肩衝」と称され、のちに奈良の松屋が所持するところとなり「松屋肩衝」と呼ばれました。。徐煕(じょき)の筆になる白鷺図、存星(ぞんせい)の長盆とともに「松屋三名物」のひとつとして伝わりました。幕末に松屋の手を離れ、薩摩の島津家に渡り、昭和3年の島津家入札において根津嘉一郎が落札し、現在は根津美術館の所蔵となっています。

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