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山鯨

明治までわが国は一部は除いて獣肉を食べることはタブーとしてきました。そこで肉が鯨に似ているということで猪の肉を「山鯨」と呼んで山間部では食べられていました。かつて吉野でいただいた料理に、正真正銘の鯨が出されました。シロナガスクジラの炙りです。とても柔らかくらてあっさりした美味しい肉でした。

近年、環境保護、動物愛護等を主張するグリーンピースなどの環境保護団体に捕鯨をとやかくいわれ、縄文時代からの私たちの食文化が破壊されています。うちの子どもは鯨を食べたことありません。貴重な伝統文化の断絶です。本当に嘆かわしいことです。

人に限らず生きとし生けるものすべてが子孫を残すためにこの世に生まれてきたのです。他者に殺されるために生まれてきた生き物は存在しません。ところがある宗教では牛や豚、鶏などの生き物は人が生きていくために神がこの世に遣わしたとして殺して食べることを正当化しているものがあります。そんな傲慢なことはありません。牛も豚や鶏も植物もすべての生き物は人に食べられるためにこの世に生まれてきたのではありません。命に上下はありません。ところが今の時代にそうした考えの人がたくさんいます。古代の人どころではない、宇宙人のような人だと私は感じています。その人たちは、鯨の命は尊くて牛や豚や鶏の命は劣ると信じてます。まったくの噴飯ものです!そんなのナチスとおんなじです!まさにファショです!

この世に命を得て生きるものを殺して食べなければ私たちは生きていけない。尊い命をいただいて私たちは生きていくことができるのです。だから食べ物への感謝を大切にしなければならないと私は考えます。かつての日本人は鯨に限らず殺したいろんな動物を寺や神社で供養し、祭りを行ってその冥福を祈り、感謝の思いを表していました。近年豊かになったことにより、私たち現代の日本人はとても大切なものを捨ててしまいました。まさに「衣食足りて礼節を知る」の逆です。

本当に傲慢なことです。私たちが口にするありとあらゆる動物、植物に感謝するならまだしも、他の生物に勝手に序列をつける。それを可とするる人たちを私は理解できません。ガンジーは生涯二つの物しか口にしなかったそうです。それは他のもののために食べられるためにこの世に存在するものです。それはフルーツとミルクです。フルーツは種を運んでもらうために植物が作るもの。ミルクは子どもに飲んでもらうために母親が作るものです。環境保護を声高に叫ぶ人たちにガンジーの爪の垢を飲ませたいです!

かって済州島でお世話になったガイドさんがいってました。「他人が何を食べようとどうぞご自由に!でも韓国は永遠に犬を食べ続けます!他人の文化に口を挟むな‼︎」

命の尊さとは異なりますが、鯨に限らずなぜ先祖が伝えてきた貴重な文化をそうも簡単に否定できるのか。私はとても残念に思っています。

命の意味と伝統をもう一度冷静に考え直さなければならないと。

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