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指金

「大工の三宝」とは、「指金(さしがね)」「墨壺(すみつぼ)」「釿(ちょうな)」の三つの道具をいい、昔から大切に扱われてきました。毎年正月に一年間の安全を祈り、指金と黒壷・釿を用いて「釿始めの儀」を行なっています。大工は決して指金を落としたり跨ぐなどの粗末な扱いをすることはなく、とても大切に扱ってきました。

指金は曲尺(かねじゃく)とか鉄尺・尺金・大工金・矩差(かねじゃく)規矩尺(くぎじゃく)などと呼ばれます。聖徳太子が15歳の時、百済の国に秦河勝(はたのかわかつ)を遣わせて算具と工匠の建築用具をわがが国に持ち帰らさせたといわれています。また 聖徳太子が四天王寺を建立したとき中国の隋から番匠を招き、その番匠達が大工道具と共に携えてきたともされています。

指金には長い方と短い方があり、長い方を長手とか長腕・長枝、短い方を短手・妻手・短腕(つまうで)・短枝(たんし)、直角に曲がった角の所を矩の手といいます。また指金の裏目(角目)には表目寸法の√2倍の伸び目盛があり、短手の裏の内目には丸目といって丸材の円周が一目でわかるという便利な目盛が刻まれ、またいろいろな補助目盛もあります。 長手の裏目の内側には魯般尺(ろはんじゃく)とか北斗尺・門尺・天星尺・玉尺・吉凶尺・八掛尺・門明尺と呼ばれる目盛があります。

この目盛の寸法は1尺2寸を8等分し、1等分を1寸5分として、「財・病・難・義・官・劫・害・吉」の文字がきざまれています。 この寸法は中国の大工の神とされている魯般が夢の中で北斗七星の文曲星に教えられて作ったとされています。また、魯般が昔、天竺で習ってきたともいわれています。『淮南子(えなんじ)』に、魯般は姓は魯、諱(いみな)を班、字(あざな)を公諭(こうゆ)または衣智(いち)といい、魯の定公3年に生まれ、15歳の時に孔子の弟子の子夏に入門し数ヶ月ですべてのことをマスターし、その後、政治の改革を説きましたが、誰にも相手にされなかったので泰山に隠れ、11年後に再び世に出て飽という仙人について学び「規矩準縄」の技術を開発したとあります。

1尺2寸を8等分し、目盛の1単位が5.4センチあで、8つの集りで1尺2寸となり、それぞれに「財(貪狼・天枢)・病(破軍・揺光)・離(武曲・開陽)・義・(巨門・天璇)官(文曲・天権)・劫(廉貞・玉衡)・害・(禄存・天璣)吉(輔星)」の文字があてられてその文字に吉と凶が決められています。建物や墓を建てるのに用い、例えば墓の間口に魯般尺を当てて「病」の目盛ならば病に冒される。「財」の目盛なら財産を呼ぶといった具合です。なお、財は吉で福徳や財宝で富貴になり、「病」は凶で絶命・病気、常に病人が多くなり、「離」は凶で禍害、離散、親に離れ、子・家・田畑失う。「義」は吉で遊年・義快、繁昌し喜び多くすべて成就する。「官」は吉で天屋・官進、官位が進み農商業はよくなる。「劫」は凶で遊離・盗難、家に盗人絶えずすべてに損失する。「害」も凶で絶対・災害、度々死人多く憂い悲しみがる。「吉」は吉で生家・名誉、家に良いことが常にあり喜びが多いということだそうです。ただし現在この魯般尺を用いることはないそうです。

また、指金に北斗七星の名が当てられているのは北斗七星は天の柄杓であり、昔の人がもっとも恐れたものの一つに火事があります。そういうことから水を司り、建物を火の災いから守るという思いが込められているとのことです。建物には指金だけでなく水に関わるものがたくさんあります。天井は天の「井戸」、城の屋根には海の生き物である「鯱鉾」が、また、鬼瓦には「水」という文字や「波」が、鴨居は水鳥の「鴨」が、また敷居は同じく水鳥の「鴫」が。いずれも水に関わるものです。また大工道具の墨壺にも「波」があります。まさに建物の中は水だらけです。このように私たちの先祖は各所に水を配置して建物を火の災いから守るために苦心していたのです。


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