大徳寺447世、玉林院13世住職の拙叟宗益の鍋画賛です。拙叟は木津家2代得浅斎の参禅の師にあたり、木津家とも格別縁の深い人です。


此尻、日に三度焼て天下太平なり、 焼さる時ハ民苦しむ、おおけなくも、 高き屋の御製も此尻より出たり、漫に 焼時ハ家亡ふ、しいて焼されハ交り 薄し、功言令色貧福ハ只此尻ニあり  よきに煮よ   あしきにゝるな    鍋て世の   人のこゝろに    自在     かき      あり   南明庵主     無用子応需書(印)


古来、仁徳天皇は聖帝の誉れ高い天皇です。その御製に、


高き屋にのぼりて見れば煙立つ  民のかまどはにぎはひにけり


があります。天皇が高殿に登って国のありさまを見わたすと、民家のかまどから煙がたちのぼっている。民の生活が成り立っていることをうれしく思ったという歌です。この御製を詠まれたのには次のような逸話があります。 ある日、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられました。すると民のかまどより煙がたちのぼっていませんでした。民がその日に食べる食料すらなく窮乏していることを天皇は知り心を痛めました。天皇が天に立つのは民のためである。過去の聖王達は一人でも民が飢えたら自分の身を責めたものである。民が貧しいのは私が貧しいことであり、民が豊かなのは私が豊かなことなのだといい、そこで税を向う3年間は取り立てないことにしました。税を免じてから3年が経ち、天皇が高殿に登って見ると、先の通り炊煙が盛んに立っていたのです。これを見た天皇は、かたわらの皇后に仰せられました。「私はすでに富んだ。喜ばしいことだ。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、私も富んだことになるのだ」。ところが宮殿は壊れ屋根は破れているといった状態でした。そして民は誰からも促されずに材木を運び土嚢を担いで、昼夜労をいとわずに力を競い尽くしました。このためいくばくも経たずに宮殿は全て整いました。そうしたことから、仁徳天皇は今に至るまで聖帝とあがめられているのです。 拙叟は、この逸話を踏まえて、「功言令色・貧福」はこの尻からすべて出るのだといっています。だから常に心に鍵をかけて節度ある生き方をしないといけないとしています。それにしても畏れ多くも御製もすべて鍋の尻から出るとはよくいったものです。 「衣食住」は人が生きていく最も基本となるものです。その中でも「食」は生命の源です。そして人を「善」に導くのも、「悪」に導くのも「食」といえます。まさに「衣食足りて礼節を知る」です。




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