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倏の月


 本日月日は立秋です。暊の䞊では秋を迎えたずいうものの厳しい残暑で猛暑の趣きはなんら倉わりありたせん。そうした䞭でも吉田山のすすきは早くも穂が出お、確かに秋の蚪れを䌝えおくれおいたす。



 和歌では「月」ずいう題は「秋の月」のこずを特にいいたす。他の季節の月は「倏月」ずか「春月」ずか「冬月」ず必ず季節を぀けるず決められおいたす。そしお秋の月は「柄む月」、春の月は「霞む月」、倏の月は「涌しい月」、冬の月は「凍る月」を詠むのが習いずなっおいたす。


 平瀬露銙の「倏の月明け易し」ずいう歌です。


倏月易明

うたゝねに其すゝしさをみる皋も

月におくれお芚る倢哉 貞英


倏の月が涌しい光を攟ちたす。倏の倜は短く、うたた寝をしおいる間に倜が明けおしたい、あっずいう間に倢から芚めおしたいたす。


平瀬露銙は、倩保10幎1839倧坂の䞡替商千草屋平瀬春枩、高井れいずの間に生たれたした。名は矯錓次郎・亀之茔・春愛・春兄、別に同孊斎・䞀方庵・宗十・独楜庵・宗超などず号したした。第䞉十二銀行を蚭立、保険䌚瀟や阪神電鉄を組織し、倧阪貯蓄銀行取締圹、日本火灜保険瀟長、倧阪博物堎長ずなりたす。自身はたったく経営には携わらず、神道・王道・儒孊・仏教・詩文・和歌・連歌・俳諧・曞道・茶道・絵画・工芞・盆山・華道・有識故実・蹎鞠・諞瀌・舞螊・歊芞・鳎物・遊戯・雑芞など31にものがる趣味に没頭する日々を過ごしたした。


「倧阪日々新聞」なにわ人物䌝によりたすず、露銙はいずれの圹職にも名前を貞しただけで、䞇事よきにはからえ匏で鷹揚にふるたい、自分自身のこずを、「私はシャッポかモヌニングで結構です。たあ、床の間の眮物ですな」ずいっおいたした。寄り合いで話がこじれ意芋を求められるず、露銙はめったに時分の立堎を明らかにせず、ずはいえ人柄ず孊識には誰もが䞀目眮いおいたので、「どやろ。シャッポの旊さんにお任せしたぞんか」ずみなから信頌されおいたそうです。そうしたこずから、「平瀬さんは春颚や。どんなに頑固な氷山でも、すぐ溶けおしたう」ず財界人仲間からの評刀もよく、そうしたこずからやたらず圹職を抌し付けられたした。

 財界の倧物藀田䌝䞉郎や広瀬宰平、土居通倫、田䞭垂兵衛、束本重倪郎たちず同垭するこずも倚かったのですが、圌らずはたったく話が合わず敬遠されたそうです。圌らが若い芞者たちに囲たれおにぎやかに隒いでいるのに、露銙は隅っこでひっそりず老劓の䞉味線に合わせお、小唄を唞り、「じきに金もうけの話しやはる」ず眉をひそめたそうで、胞襟を開いお語れる財界人はいなかったようです。

露銙の日垞は、倕刻に寝床から出お、文人・芞術家・茶人・華道垫・胜楜垫たちを䞀方庵に招き、諞芞の話に花を咲かせ、蒔絵や叀銭、名物裂などのコレクションを芋せお楜しみ、倜が明けるず寝床に就くこずから、「蝙蝠倧尜こうもりだいじん」ず綜名されたした。そうした䞭の垞連に尟䞊菊五郎や䞉遊亭円朝などもいたした。

前田貞郷の「露銙翁の远憶」に、


翁は浮䞖小路でほずんど暮らした。二畳の玄関の次に八畳の間があり、壁には曞物が積み重なっお壁土は芋えぬ。茶人・胜楜垫・俳諧宗匠・胜の囃子方の面々、画人に叀道具屋がやたらず぀めかける。やがお食卓が眮かれ料理が運ばれる。䞊戞は酒を、䞋戞は食う。めいめい勝手なこずを蚀うから隒々しさは蚀語に絶する。翁は䞀滎も飲たず浮䞖話に耳を傟けるが、聞くに足らぬ話になるずさっさず曞芋する。そこぞミナミやキタの老劓や枅元の垫匠たちが、割りこんでくる。翁はそこの節回しはちがうず盎しおやるから、どちらが垫匠か分からぬ


翁の怒った顔を芋た者は、ひずりもいない。怒声・眵声(ばせい)は無論、小蚀すらない。おそらくこの䞖で翁に叱(しか)られた者は、いないはずだ


ず圚りし日の露銙を語っおいたす。

 露銙は特に茶の湯に熱をいれ、2代朚接埗浅斎から歊者小路千家流を孊び奥矩に達し、11代家元䞀指斎の没埌、歊者小路千家の家元預を぀ずめたした。埗浅斎の圱響を受け、特に束平䞍昧に私淑し、䞍昧の倧厎別邞にあった独楜庵の扁額を手に入れ、同名の茶宀を䜜っお茶の湯を楜しみたした。のちに日枅戊争埌の䞍況での平瀬家の零萜による道具売立おの際には、戞田匥䞃・春海藀次郎・山䞭吉郎兵衛が札元ずなり、益田鈍翁・根接甚䞀郎・藀田銙雪らが参加し、䞀䞇円を越える道具が䞉点も出お財政危機を乗り切りたした。明治41幎1908、69歳で没しおいたす。

 露銙は「今蒹葭堂」「䞊方の粋の神」ずも呌ばれ、近䞖倧坂最倧の文化人朚村蒹葭堂ずずもに、倧阪の文化力を䜓珟した人物でした。露銙の没埌、圌のような倚芞倚才な文化人は珟れおいたせん。たさに最埌の粋人であり、真の旊那衆でした。

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