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袋の中身

 七福神のひとりである布袋さんは実在の人物とされています。明州(浙江省)寧波府奉化県の人で、姓はつまびらかでなく、契此(かいし)と称しました。短小肥満の太鼓腹の姿で、額が狭くしわだらけ、半裸で寺に住む訳でもなく、処々を泊まり歩いたといいます。また、そのトレードマークである大きな袋を常に背負い、身の回りのもの一切、履物も衣類も、経本も食べ物も、何もかもいっしょに入れて持ち歩きました。そして生臭物でも構わず施しを受け、少し食べて残りを袋に入れて蓄えました。そうしたことから布袋和尚と呼ばれました。  不可思議な言動の持ち主で、人の吉凶を言い当てたりしました。また、雪の中で横になっていても布袋の身体の上だけには雪が積もっていなかったとか、雨が降りそうになると湿った草履を履き、晴の日は高歯の木靴を履き、橋の上で膝を立てて眠るなどの奇行に富んだ人物でした。そして、お腹がすいたら袋の中のものを出して食べ、満腹すれば所構わず寝る。名利を求める心もなく、見識ぶるでもなく、威張ることもなく、老人に会えば老人になりきり、子どもに会えば子どもになりきる。そしていつも呵々大笑する、まさに天衣無縫(てんいむほう)そのものでした。入寂にあたり、


  弥勒は真の弥勒にして、分身は千百億なり   時々に時の人に示すも、時の人自ら識(し)らず


の遺偈を残しました。そしてその遺体は埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたと伝えられています。なお、この遺偈から、実は布袋さんは弥勒菩薩の化身なのだという伝聞が広まったといのことです。中国では、金色で太鼓腹の姿の布袋さんを弥勒菩薩として天王殿に四天王や韋駄天とともに祀られています。なお、日本の黄檗宗の寺院も同様に安置されています。

大徳寺の明堂宗宣が松花堂の描いた布袋図を写し、宙宝宗宇が着賛した画賛です。 


  謄惺々翁之圖 紫岩窟中獦獠(印)   背後布袋 脚下烏藤   兀坐瞪目 是何所能      前大徳宙寳叟題(印)


  背後の布袋 脚下の烏藤   兀坐(ごつざ)瞪目 是れ何ぞあたう所か


宙宝の讃は、背中の後ろのつぎはぎの布袋、そして足下には粗末な黒い藤の杖。じっと一点を座って見つめている。この布袋と杖に何の価値もないように見えるけれど、これに価値がないはずが無いでろう。といった意味です。

このつぎはぎの袋の中には一体何が入っているのでしょう?



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