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ヒストリー・プロパガンダ・ファンタジー

5年前にスタンフォード大学の研究グループが、アメリカと台湾を加えた各国の歴史教科書を比較研究しました。その結論が日本では「ヒストリー」だが、中国では「プロパガンダ」、韓国では「ファンタジー」であるということです。

19世紀初めの朝鮮の儒者が鄭東愈の『晝永編』に、

「我が国の拙きところ針なし、羊なし、車なし」

粗雑な針はありましたが、ちゃんと縫うのに使う針は中国から買っていました。木を曲げる技術がなかったので車が作ることができませんでした。李朝の前の時代の高麗にはあったそうですが、いつの間にか亡くなったそうです。宮廷などは別として庶民は白一色でカラフルな染め物もなく、商店もなく市でものが売られていました。そして両班はタバコを吸うのにキセルすら持たず、何もしないのが当たり前で、汗水垂らして働くことは卑しいとされました。庶民から両班たちは搾取することが当たり前で、少しでも余裕があると奪われるので、庶民はその日を暮らせれば良いという生き方で、必要のないものを持たなかったのが実情です。

韓国の時代劇はまったく逆で、李朝の時代の庶民がカラフルな衣装を纏い、さまざまな商品が商店に並ぶ光景が描かれています。こうであったはず、こうあって欲しいという思いです。現実はまったく異なります。まさに幻想の世界です。また、史書にわずか数行の記述で100回にわたるドラマを捜索し、場合によっては捏造も行われています。それを史実と信じている人がどんどん増殖しています。ドラマを見た日本人も同様に信じている人がいます。

日本でも「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」のような時代劇もありますが、それを史実と信じている人はほとんどいません。迫間房太郎が終戦の日に資産を持って日本に逃げたというのも同様で、史実を曲げる、いや捏造することが何の問題もない国です。共通の歴史認識を持てるようになるのはいつの日なのか?本当に難しい問題です!



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