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一指斎作 墨堤桜樹茶杓

一指斎作墨堤桜樹茶杓。「以墨堤桜樹作之」と割蓋の筒に書付した隅田川の桜で作った茶杓で、細身の皮付きのもので、荒々しく刀痕が残され、櫂先には花押が墨書で認められ、会心の作品であったことがうかがえます。

一指斎は明治14年(1881)に東京を訪れていますその足取りの詳細は不明ですが、平瀬露香が二度目の東上で三十間堀の中村屋という宿に逗留していてそこで面会しています。『東久世通禧日記』によると、7月1日に西四辻公業主催の茶事に東久世通禧と松浦詮・橋本実梁とともに招かれています。また同月10日に音羽三丁目山田顕義の別荘で催された赤沢宗凹追福茶事で点前をしています。赤沢宗凹は以心斎の門人で、元伊達家茶頭で三代木津聿斎宗泉が東京遊学中に茶の湯並びに茶式建築・作庭を学んだ宗匠です。

一指斎は東京滞在中に三浦乾也に好みの武蔵野蓋置を作らせています。三浦乾也は尾形乾山の作風を踏襲して向島長命寺で乾山風の作陶をし、六代乾山と自称しました。またこの茶杓もこの時の土産で、平瀬露香に贈った品でした。贈筒であったようで、のちに聿斎が箱の書付をしています。


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