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上巳(じようし・三月三日)

上巳は五節句のひとつで、人日(じんじつ・一月七日)と端午(たんご・五月五日)・七夕(しっせき・七月七日)・重陽(ちょうよう・九月九日)の五つの節日です。古くは宮中で行われていた節会(せちえ)や民間で行われていた行事の習俗などがもととなり、江戸幕府の式日(しきじつ・祝日)として定められたものが五節句です。

元来、上巳は旧暦三月の最初の巳(み)の日をいうことばで、のちに三月三日に定まります。古代中国ではこの日に祓いの行事で、この日に川のほとりで禊をしました。この習俗が転じて流水に盃を浮かべ宴を張る「曲水宴」となりました。記録によると、わが国では奈良時代の聖武天皇神亀5年(728)に鳥池の堤で曲水の宴を催し、文人に詩を詠ませたとあります。平安時代になるとますます盛んになり、宮中のみならず、貴族の邸宅でも行われるようになりました。



日本人は偶数(陰数)より奇数(陽数)を好み、特に奇数の重なる日を良い日と考えます。それに対し中国では奇数を日本ほど好みません。奇数を重ねた月日は、陽が極まると陰を生ずる日として辟邪(へきじゃ)が行われる節日となったとのことです。元来、五節句の風習に中国起源のものが多くみられます。江戸時代にはいると、もともとは武家や公家などの特定の階級のあいだで行われていた五節句は、時代が下るに従い広く人々に親しまれる行事として定着しました。特に上巳は三月三日の雛祭りが行われるようになります。明治になり五節句は廃止されましたが、上巳・端午・七夕の三つの節句は、子どもたちが担い手となり、子どもの大切な行事として定着し、国民的な祝日となり民衆から圧倒的な支持を受けて今日にいたっています。



上巳に邪気を祓う食べ物として、同じく古代中国から伝わったものとして、野草の汁を入れた餅状のものを食べる習俗が伝わっています。母子草(ははこぐさ・ごぎょう)を用いて草餅を作る民間の習俗として広がり、平安時代のはじめには宮中にも取り入れられています。これがのちに「蓬餅」となり、「菱餅」となります。

母子草(ははこぐさ・ごぎょう)

蓬(よもぎ)


なお、江戸時代にはこの菱餅を初節句のお祝い返しに贈り、二年目からは米の新粉を扁平な楕円形にし、一方をつまみ凹みをつけてそこに餡をのせた「いただき」を重箱に入れて配ったと『守貞漫稿』にあります。今日、雛祭りに作られる「引千切(ひちぎり)」と呼ばれるお菓子です。



引ちぎり・あこや・いただき


そして清酒と焼酎・みりんなどに蒸餅米と麹を入れて発酵させたものをすりつぶした「白酒」も、古く中国から伝わった桃花酒に淵源がもとめられます。桃は強い生命力をもつとされ、魔を祓う仙木とされ、旧暦三月三日ころに開花することから、酒に桃の花を浸し、これを飲むと百病を除き顔色がよくなるとして中国から伝わった習俗でした。白酒が桃花の色と似ていることから広く用いられるようになりました。





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