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誕生日を迎えて

Facebookにアップしたものです。

舞楽「採桑老(さいそうろう)」の図です。賛は江戸時代中期の公家四辻公亨で絵師は不明です。

三十情方盛、四十気力微 

五十髪毛白 六十行歩宣

七十懸杖立 八十坐魏々 

   南溟縢公書(印)

三十にして情まさに盛んなり、四十にして気力微なり、五十にして衰老に至る、六十にして行歩宣たり、七十にして杖に懸りて立つ、八十にして座すこと巍々たり、

採桑老とは、雅楽の曲のひとつ、左方、盤渉(ばんしき)調の曲です。むかしからこれを舞うと数年後に死ぬと言われている曲です。本来、年功のある楽人が舞うのを前提とした曲だったことから、このような説が生まれたのでしょう。内容は、不老不死の薬草を求めさまよう老人が老いてゆく姿をあらわしています。舞者が舞の途中で唱える短い句を詠というそうです。

採桑老の詠は90歳、100歳の部分は記されていませんが、「九十得重病、百歳死無疑(九十にして重き病を得、百歳にして死すること疑いなし)」で、不吉だとされてその部分は常に唱えなかったそうです。もともとは平均寿命の短かった時代、この舞は長寿願望のお目出たい舞だったのかもしれません。面は、青白い素地にシワが縦横に刻まれ、下をにらんだ半眼で、老人のデスマスクのようです。

厚生労働省によると100歳以上となる⽇本人は、昨年より6,060人増えて86,510人となったそうです。この数値は、統計開始以来51年連続で過去最多を更新するものです。女性の百寿者人口は76,450人と全体の88%を占めています。男性は女性に比べて少ないものの、1万人を超える10,060人となりました。「百寿者」は英語では「センテナリアン(centenarian)」と呼ばれ「1世紀以上を生き抜いた」という意味があります。⽇本の百寿者人口は、団塊の世代(1947年~1949年生まれ)が100歳を迎え始める2047年に50万人を突破し、その2年後の2049年には65万人を超えると予測されています。まさに百寿者が当たり前の時代を迎えます。

ところが老いるということの現実は、

目はかすむ耳に蝉鳴く 

歯は落ちる雪を戴く老の暮哉

の狂歌の通りです。人は誕生し、生き続け、そして「喪失」してすべて空っぽになるのが人の生涯です。若いころに手に入れたものを「老い」とともにどんどん喪失していきます。それは誰も逃れることのできない「自然」なことです。私は生きていくにあたり喪失感ほど辛いことはないと感じています。大切な人との別れ、想い出や財産を失うこと等です。なによりも自分の健康と命の喪失がもっとも辛く悲しいことだと思っています。

社会的地位が高く裕福な老人がそれに満足しているのは実はうわべだけで、更に高い地位や更に多くの財力を求める思いの人が実はたくさんいるのではないかと感じる時があります。日に日に確実に健康は衰え、家族の心は離反し、確実に一日一日死に向かって歩んでいく自分がわかっている。常に寂しさに苛まれている。これもすべて老いの恐怖がなせる技かもしれません。老いからくる喪失感を相対的に小さくしようとしているではないかと思います。いずれその思いも消え失せて、無欲になり自然と枯れて従容と死んでいくのです。なお、すべての人がこの通りではありません。そういう人はある意味、私は気の毒な人生に思ってしまいます。こんなことを書けるのも私自身まだまだそうした域に達していないからです。

私も寄る年波で頭はおぼつかなくなり、2階に物を取りにいって何を取りにきたのかを忘れてしまうことがしばしばあります。今日のお昼に何食べたかを思い出せない時もあります。記憶力は減退の一途です。身体も日ごとに衰えていきます。1日の終わりの疲労感はこれまでと比較になりません。1日も欠かさず耳の中でピーと音が鳴っています。足腰の筋力も落ち、膝が痛くて正座が辛い。特に今年の夏が格別暑かったことから8月の末からに風邪を引き、いまだに治らず体がとてもだるく、すぐに疲れてしまいます。この先のことを考えると恐怖のみです。

私の仕事は元気であれば死ぬまでできる仕事です。また不思議なご縁で還暦を迎えて京都外国語大学の客員教員として正式に採用してもらいました。まことに皮肉なことですが、一部の同期が定年退職する時に初就職しました。いろんな仕事が60歳を過ぎて次から次に舞い込んできます。このことはとてもありがたいことだと感謝しています。それに反して頭も体も日毎に衰えていく。この相反する矛盾を考えるととても不安に感じています。

日本人の平均寿命は男性が81.47歳、女性が87.57歳です。それでいくと私もあと20年ほどとなりました。残りの時間もいよいよ限られてきました。日数に直すと7.300

日、時間だと175.200時間です。寝ている時や体調の悪い時、不愉快な時が3分の2とすると2.190日、52.560時間しかありません。まさに残された時間はわずかです。どうしてあの時もっと真剣に多くのことを学ばなかったのかあんなに時間があったのにと後悔が頭をよぎる時があります。のちに生まれた人はあとからどんどん追いかけてきます。まさに論語の「後世おそるべし」です。

生きている限り老いるという宿命から何人も逃れることはできません。身体的にはすでに18歳から老化は始まっているともいわれています。だから人は老いるために生きているとさえいえます。すべての人にとって「老い」は人生最大の課題です。肉体の老いは如何ともしがたいですが、心の持ちようを柔軟にすればまだまだ向上させることができるのではないでしょうか。創造的な活動さえできるのではないかと思います。わたしは「なすべきことは総てやった。思い残すことは何もない」という思いで臨終に臨みたいと切に望んでいます。そのためには健康が第一だと確信しています。必要以上に無理をせず、心も体もほどほどにゆっくりとしないといけない。これが誕生日を迎えての私の思いです。

誕生日のお祝いのメッセージをたくさんいただいてます。いちいち返事をするべきところではありますが、この場に代えて御礼とさせていただきます。悪しからずご了承ください。

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