木津宗詮3 日前1 分ゴイサギ天皇が日常お使いになる御常御殿(おつねごてん)である清涼(せいりょう)殿に昇殿を許され、天皇に近侍する人は、「五位」以上の官位を受けた人です。 ゴイサギは、『平家物語』によると、醍醐天皇が御所の庭で鷺を従者に捕まえるように命じました。すると鷺が逃げようとしたので、「宣旨(天...
木津宗詮5月30日1 分梅雨入り梅雨入りしました。5月の梅雨入りは10年ぶりで、平年より8日早いとのことです。台風の影響もあってか本格的な梅雨らしい雨が降ってます。 梅雨というと子供の頃の思い出は雨に打たれるアジサイ。そしてカタツムリでした。今の子どもたちはどんなイメージなんでしよう?
木津宗詮5月29日3 分山鯨明治までわが国は一部は除いて獣肉を食べることはタブーとしてきました。そこで肉が鯨に似ているということで猪の肉を「山鯨」と呼んで山間部では食べられていました。かつて吉野でいただいた料理に、正真正銘の鯨が出されました。シロナガスクジラの炙りです。とても柔らかくらてあっさりした美...
木津宗詮5月29日1 分卯の花卯の花の匂う垣根に 時鳥早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす夏は来ぬ 佐佐木信綱作詞の童謡「夏は来ぬ」です。卯の花が垣根に美しく咲き、時鳥が忍び音をもらしています。いずれも初夏を象徴する風物詩です。 昨夜半、時鳥の初音を聴くことができました。そして、先日、大原に赴いた時に卯...
木津宗詮5月18日1 分5月18日 稽古場の床本日の稽古の床は大徳寺大綱和尚の「待郭公(ほととぎすをまつ)」です。紫蘭、紫露草、雪の下、躑躅、段菊を魚籠に入れました。 待郭公 前大徳大綱 きかはやと 誰もまつらん 郭公 夏立日より 鳴物にして ホトトギスは初夏にインドや中国南部で越冬して初夏になると日本に渡ってくる鳥で...
木津宗詮5月5日1 分岩田喜八本日は端午の節句です。床に冷泉為泰の鯉詠草を掛け、花菖蒲を染付高砂写花入に入れました。 (花押) 岩かねを 落くる 田 喜八 百年もたへす のほれる 鯉や嬉し き 為泰のこの歌は「鯉の滝登り」の故事をふまえたものです。みごとな岩盤から落ちてくる滝を百年絶えず登る鯉はうれしい...
木津宗詮4月18日1 分4月17日稽古場の床本日の稽古場の床は、初代宗詮の一行「春色無上下(しゆんしよくこうごなし)」です。床柱に萩焼蹲踞花入に小手毬と花水木・紫蘭を入れました。 春の暖かい日差しは山河草木、野にも町にも、貧者にも富者にも平等に降りそそぎます。ほんの少しも高下、厚薄はありません。まさに平等です。
木津宗詮4月15日1 分花を求めて香川景樹の懐紙「萎花蝶飛去」を掛け、唐銅の熨斗形花入にシャガを入れました。 春日詠萎花蝶飛去 和歌 長門介平景樹 この里ははなちり たりととふ蝶の急 くかたにも風やふ 君羅武(くらむ) ソメイヨシノや山桜、桃などは散ってしまいました。今は八重桜や菜の花、躑躅が満開です。次な...
木津宗詮4月14日1 分カラス桜の花のついた枝にしばしばカラスがとまっているのを目にします。カラスは美しい花を眺めているのか?それとも花を食べているのか? カラスには前者のような風流を解する心は到底もっているとは思われません。間違いなく後者でしょう。メジロのように花の蜜を小さな嘴で吸うことのできないカラ...
木津宗詮3月8日1 分聿斎宗泉丁卯歳試筆3代聿斎宗泉の丁卯歳の試筆です。この年は昭和2年(1927)にあたり、兎の絵を自ら描き、 治れる御代は風さへ静なり 海ばら遠く波たゝずして 春の海兎のどかに遊らし と色紙に泰平の御代を寿ぐ和歌と発句をそれぞれ認めています。 またもう一幅は、 開動明眎妙...