木津宗詮6月9日2 分6月9日稽古場の床本日の東京稽古は、松平不昧公の詠草を床に掛けました。花は花菖蒲を宗全好み蝉籠です。 思事宇多幣婆那藝奴言霊之 幸波布験麻佐斯加利計理 蘭室主人 思事うたへばなぎぬ言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ験(しるし)まさしかりけり...
木津宗詮6月6日2 分6月6日稽古場の床自宅稽古場の床は、大綱和尚筆になる『徒然草』第百十七段です。花は、今朝庭で咲いた花菖蒲を二代須田菁華の染付高砂写し花入に入れました。 兼好法師のつれゝゝ草に 筆をとれハ物書かれ、楽器をとれハ音をたてんとおもふ、盃とれハ酒を思ひ、賽をとれハ攤うたん事を思ふ、心ハ必らす事ニふれ...
木津宗詮6月6日1 分6月6日稽古場の床1祇園稽古場の掛物は、建仁寺の元管長竹田益州老師の栄西禅師の『喫茶養生記』の巻頭です。花は紫陽花と白花の下野、蛍袋を手付籠に入れました。 茶 養生仙薬 延齢妙術 栄西禅師語 法孫益州書(印) 茶の徳を讃える名言です。 建仁寺の開山栄西禅師は、中国南宋の禅院で行われていた茶...
木津宗詮6月6日1 分6月3日稽古場の床本日の稽古場の床です。11代一指斎の一行「茶能得維和之友」を掛け、小海老草と都忘・利休草を丹波焼徳利に入れました。 茶能得維和之友 一指斎書(花押) 茶を通じて心穏やかな友と縁を結ぶことのできます。そんな素晴らしいものが茶の湯です!
木津宗詮6月6日1 分5月30日稽古場の床2夜の稽古に冷泉為村の短冊「卯花」を掛け、茜焼黄交趾花入に山芍薬を入れました。 卯花 くれ深き籬にさける色はみな 夕の月となかふうの花 為村 夕べの空を煌々と照らす月と見間違うような籬にたわわに咲いた真白い卯の花を詠んでいます。...
木津宗詮6月6日1 分5月30 稽古場の床1本日の祇園稽古場は、大綱宗彦の竪詠草「新樹妨月(しんじゅつきをさまたげる)」を掛け、更紗卯木と美中柳、京鹿子、鉄仙、蛍袋を手付籠に入れました。 新樹妨月 大綱 心なくしけりにけりなわかみとり のきはの月を余所にへたて丶 美しい若緑の木々の葉が、無分別に茂ったおかげで、軒端の...
木津宗詮6月6日1 分5月28日稽古場の床鈴鹿の椿大神社の稽古。床に少庵350年忌の折に三千家家元により認められた扇面「緑水青山」を掛け、宗全籠に蛍袋、甘茶、下野、虎の尾、糸葉春車菊を入れました。 緑水 守(花押) 青 左(花押) 山 室(花押) この時の家元は武者小路千家は先代有隣斎、表千家は先々代即中斎、裏千家...
木津宗詮6月6日1 分5月23日稽古場の床本日は三重県のとある団体の稽古。床に昨日表具の出来上がった大徳寺嶺雲室老師の一行「金龍起五雲」を掛け、信楽焼面取花入に擬宝珠を入れました。 爽やかな風の吹く稽古場に、郭公の鳴き声がひとしお初風炉の趣を加えてくれています。
木津宗詮6月6日2 分5月20日稽古場の床本日の大阪稽古場の床は、大徳寺の無学宗衍の墨跡「薫風自南来 殿閣生微涼」です。白山の鉈籠に露草、段菊、姫小判草を入れて床柱に掛けました。 薫風自南 来 殿閣生微 涼 前龍寶無学書(印) 唐の文宗が前半の句を作り、柳公権が後半をつけた詩が元になっています。...
木津宗詮6月1日1 分五月雨棗藪内家五代不住斎竹心紹智の好みになる「五月雨棗」です。 親しくしている家元の関係の方にも伺いましたが、名前のいわれは不明です。利休形の小棗とほぼ同じくらいの大きさですが、直径が高さに比べる少し大きく、肩がほんの少しだけ張り気味な感じです。箱書は十一代透月斎竹窓紹智となっています。
木津宗詮5月21日3 分王鞬南(おうけんなん)黒谷金戒光明寺の塔頭西雲院はは、安土桃山時代の慶長文禄の役で捕らえられて日本に連れて来られた李氏朝鮮の宗厳が開基になる寺です。 西雲院の山門をくぐった左側に、蓮台に坐して左足を垂らし右足を左足の太ももの上で組んだ半跏趺坐(はんかふざ)で、右手に蓮華を持ち、チベット仏教のラマ...
木津宗詮5月20日1 分春日燈篭世に春日燈篭と呼ばれる燈篭は数え切れないほどたくさんあります。 一般的に春日燈篭とは、火袋は六角柱で,二面に雌雄の鹿,他の二面に雲形の日月が彫られ,残りの二面は彫りぬかれたものをいうそうです。この燈篭の元になるものが春日大社にあることからの命名とされています。...
木津宗詮5月18日2 分土田湖流2昨日、薄さんのお宅で拝見した土田湖流遺愛の茶箱を見せてもらいました。実際は3代聿斎好みの一閑張りの菓子器です。かつて私が手に入れたのがこれです。側面に杜甫の絶句の一節が朱漆で認められています。 両箇黄鸝鳴翠柳 一行白鷺上青天...
木津宗詮5月18日2 分土田湖流清技会のメンバーの一人袋物師その親族が大阪の堺市にいるとの情報があり、本日、お宅を訪ねました。そしてとても有意義な情報を提供してくださいました。 これまで土田湖流は千家十職袋師六代土田友湖の弟で、友湖の流れを大阪に伝えるということから湖流と号し、愈好斎襲名記念鶏頭裂帛紗を製...
木津宗詮5月16日1 分5月14日 稽古場の床月次歌会を終えて春日大社職員の稽古。床は有隣斎筆になる在原業平の和歌を掛け、段菊と甘野老(あまどころ)を竹一重切花入に入れました。 から衣きつゝなれにし つましあれは はるゝゝきぬるたひをしそ おもふ 守書 何度も着て身になじんだ唐衣のように、長年慣れ親しんだ都にいる妻を残...
木津宗詮5月10日2 分園城寺天正18(1590)年、豊臣秀吉が行った小田原攻めに従軍した利休が、伊豆韮山(にらやま)の竹で作った一重切花入が「園城寺」です。凱旋した利休が息子の少庵に贈ったとされています。竹花入の嚆矢とされています。 印象的な正面の縦に入る大きな割れ目が景色となっています。割れ目の縦の...
木津宗詮5月3日1 分かまおき3代聿斎宗泉好みの釜敷です。大正5年に中国産の草竹で竹龍斎が編んでいます。草竹とはキジカクシの別名で、高さ0.5~1メートルでよく枝分かれし、小枝には角張りがあるユリ科の多年草です。日本では北海道から九州の山地や丘陵地の草原ややぶに生え、広く中国、朝鮮半島、樺太に分布してい...