木津宗詮7 日前1 分有隣斎好 膳所焼雲錦茶碗昭和45年の大阪万博の呈茶席で用いるのに有隣斎が好んだ膳所焼雲錦茶碗。 膳所焼特有の鉄釉の中に金線で紅葉を描き、そのの中に桜の絵がが細かく置かれています。地味ではありますがとても品格が漂う茶碗です。
木津宗詮11月24日1 分赤膚焼立鹿茶碗春日大社元宮司水谷川忠麿好みの赤膚焼立鹿茶碗。御本立鶴茶碗をもとに、鶴を春日大社の神鹿を下絵とした馬上坏です。 水谷川忠麿は公爵近衛篤麿の四男で、大叔父で藤原氏の氏神である春日大社元宮司の男爵水谷川忠起の養子となりました。忠起没後は男爵となり貴族院議員に就任します。...
木津宗詮11月8日1 分虫明焼 時雨傘茶碗虫明焼の時雨傘茶碗です。形が逆円錐形で傘を表して、斜線で時雨、紅葉の絵が描かれています。機転の効いた絶妙の茶碗です。車線と紅葉の絵で時雨を感じる日本人の感性がとても素晴らしいとおもいます。 毎年炉開きのこの時期に必ず使う茶碗です。
木津宗詮11月7日2 分興宣大院君(こうせんだいいんくん)大院君画「蘭図」です。 興宣大院君(こうせんだいいんくん)は1820年12月21日(時憲暦嘉慶25年十一月十六日) - 1898年(光武2年)2月22日(時憲暦二月初二日))は、李氏朝鮮時代の高宗の実父で、本名は李昰応で、元来「大院君」とは直系でない国王の実父に与えられる称...
木津宗詮11月4日1 分11月4日 稽古場の床東京の稽古場の炉開きです。床は大徳寺大綱和尚筆一行「めでたくかしく」を掛け、前に北野天満宮献茶道具の茶壷の控えを飾りました。床柱に竹一重切花入に西王母椿と照葉。 明治14年に武者小路千家11代家元一指斎が北野天満宮で初めて献茶を奉仕しました。その際に大阪の社中で木津家2代得...
木津宗詮10月26日1 分摺鉢東南アジアの焼物が大好きで以前から持っていたものです。不思議な形状で、とても重たい焼物です。なぜこんなに底が厚いのかがとても疑問でした。また何使うものかわかりませんでした。 先日ある道具屋さんが送ってきたカタログに伝世品の宋胡録の摺鉢水指というのが出ていました。...
木津宗詮10月26日1 分御本半使(はんす)茶碗。半使とは朝鮮の訳官、とけ通辞の名のことこととされ、半使の指導により朝鮮釜山で焼かれたとされています。形は種々あり赤く斑点の出たものを喜ぶよとのことです。この茶碗は底に窯傷があり、名残の頃に相応しいということでしばしば使う茶碗です。
木津宗詮10月25日1 分宗真作 竹茶杓「鶴」7代家元直斎室宗真の作になる竹茶杓「鶴」です。筒と箱の書付は8代一啜斎です。筒に「八十五歳宗真作」、箱には「老母宗真茶杓 鶴」と認めています。 武者小路千家では、文政6年(1823)の3月に還暦を迎えた娘婿の一啜斎が隠居し、孫娘宗栄の婿として裏千家から迎えた不見斎の三男好々...
木津宗詮10月23日1 分茜焼 朔望月(さくぼうげつ)絵茶碗茜焼は岡田華渓の製作した陶器です。岡田華渓は、大正10年京都の呉服商に生まれ、若い頃に西山翠嶂門下の日本画家井上正晴に師事し、7代岡田暁山に嫁ぎました。40歳のとき、日本画の素養を生かし、京都東山に茜窯を開いて茶陶の製作を始めました。その作風は、女性らしい繊細さを表現したも...
木津宗詮10月23日1 分仲良し不徹斎の竹茶杓7寒山・拾得」一双です。 真伯の250年年忌の折の花筒で作られたものです。 寒山と拾得は、中国蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寒山寺に伝わる風狂の二人の僧です。拾得は豊干に拾い養われたので拾得。寒山は国清寺近くの寒山の洞窟に住み,そのため寒山と称したとされていま...
木津宗詮10月15日1 分東籬東籬 盧を結びて人境にあり 而も車馬の喧(かまびす)しきなし 君に問う何ぞ能く爾(しか)るやと 心遠ければ地も自ずから偏なり 菊を采る東籬の下 悠然として南山を見る 山気に日夕(にっせき)に佳く 飛鳥相い与(とも)に還る 此の中に真意あり 辨全と欲して已に言を忘る...
木津宗詮10月12日1 分月に秋草絵茶碗佐本来風作「月に秋草絵」茶碗です。漆の金蒔絵の風情を焼物で再現したものです。こうした作風の嚆矢です。 澄子先代家元夫人が可愛がっていた作家で、好みの道具を作ったりしていました。本名が美晴(よしはる)で、夫人はいつも「みはる、みはる」と呼んでいたのが懐かしいです。南宗寺田島碩...
木津宗詮10月10日1 分帽子棗帽子棗は、利休好とされる溜塗で、撫肩で裾が張った被せ蓋の薄茶器です。棗と呼ばれていますが、棗とはまったく異なる形です。帽子棗という名前は被せ蓋が、いかにも帽子のようなことからの名称とのことです。 この帽子棗は武者小路千家七代直斎の書付で「望月」と銘がつけられています。どのよ...
木津宗詮10月8日1 分中置の香合中置の炭点前では、風炉釜が中央に置かれ、釜をその左にあげます。香合も敷板の近くに置かれるので小ぶりな香合が使われます。トルコ土産でいただいた品です。象牙製でエキゾチックな絵が描かれた小ぶりなもので香合に見立てて使っています。
木津宗詮10月6日3 分当道座江戸時代、幕府の公認と保護を受て権威を持った盲人の集まりである当時、当道座は検校・勾当・座頭の階級にわかれ、音曲や鍼灸を独占し、公家の久我家に千両の金を納めて絶大な権力を持つ検校の位に着きました。そのため高利貸しをすることを認められていました。これは幕府による盲人保護の政策...
木津宗詮10月2日2 分美意識足利義政が所持し、村田珠光、古市播磨守、松本珠報(しゅほう)を経て松屋源三郎家に代々伝えられたことから「松屋」と銘をつけられた肩衝茶入がいわゆる「松屋肩衝」です。「初花」「油屋」とともに大名物唐物茶入の代表として、古来尊重されて来ました。ちなみに松本珠報が所持していたことか...
木津宗詮9月29日1 分静かに聴く松風寒し江戸時代の土佐光孚(みつざね)という絵師の月に琴の自画賛です。 月色満軒白 月色軒に満ちて白し 琴聲宜夜闌 琴聲宜しく夜闌(たけなわ) 飂々青絲上 飂々(りゅうりゅう)は青絲の上 静聴松風寒 静かに聴く松風寒し...