木津宗詮3 日前1 分原点30年ほど前、5年あまり稽古場としてお世話になった下御霊神社です。ゆっくり境内を拝見しました。改めて由緒のある神社であることを認識しました。 今月は祭りということで東山天皇はじめ後桜町天皇のご寄付になる神輿、同じく明正天皇のご寄付になる猿田彦神面など貴重な品を拝見できました...
木津宗詮5月30日2 分卜翠会総会並びに研修会社中の会である卜翠会の総会並びに研修会が5月28日に京都北野天満宮と天喜で行われました。 北野天満宮は古くから朝野の尊崇を集める菅原道真公をご祭神とする京都の古社です。また、今日一般に行われている大寄茶会の発祥である北野大茶湯が催された地でもあります。...
木津宗詮5月18日1 分神饌以前、いただいた葵祭の上賀茂神社のお下がりの賀茂茄子と大蒜(ニンニク)です。賀茂茄子は初物とのこと、大蒜はとても大きいです。大蒜は神饌として神に供えるのはとても珍しいです。そもそも大蒜は「五葷」の一つです。五葷とは仏教で臭気が強く、これを食べると淫欲や憤怒が起こるとして食べ...
木津宗詮5月17日1 分お下がり葵祭・賀茂祭のお下がりをいただきました。床に3代宗泉の一行「神」を掛け、その正面に上賀茂神社の遷宮記念の直会盆な葵桂を載せて飾りました。 平安絵巻さながらの路頭の儀は新型コロナのために取りやめとなりましたが、神社で勅使参向の社頭の儀は例年通り斎行されました。天皇陛下からの御...
木津宗詮5月16日2 分葵先代家元有隣斎の書付になる絵御本茶碗です。 絵御本は寛永期から元禄期にかけて、釜山の倭館で、日本人の監督下に作られたものだそうです。双葉の葵が青黒い線描きで描かれたわびた茶碗です。 いかなればその神山の葵草 としはふれども二葉なるらん 小侍従「葵をよめる...
木津宗詮5月8日1 分和歌の守護神柿本人丸公和歌の守護神「和歌三神」の一柱で、三十六歌仙の一人で、古来、歌聖と呼ばれる柿本人丸公の1300年式年大祭で和歌の披講を奉仕しました。人丸公は奈良時代の神亀元年(724)3月18日に亡くなられました。本日5月7日は旧暦3月18日で、まさに没後1300年にあたります。...
木津宗詮5月3日2 分日の丸川端龍子の日の丸(日章旗)図です。昭和4年(1929)の第五十八回式年遷宮(伊勢神宮)の記念のものです。軸が造営余材が用いられています。 「国旗及び国歌に関する法律(平成11年・1999)」の規定によれば、旗の形は縦が横の3分の2の長方形。日章の直径は縦の5分の3で中心は旗...
木津宗詮4月29日1 分4月28日 稽古場の床鈴鹿の椿大神社の稽古です。床に冷泉家中興の祖冷泉為村の短冊「卯花」掛け、丹波焼耳付花入に卯の花と苧環、花筏を入れました。 卯花 くれ深き籬にさける色はみな 夕の月とまかふ卯のはな 為村 籬(まがき)に咲く卯の花は、まるで夕べの月と見間違えるほどに純白で清楚な花です。旧暦卯月...
木津宗詮4月8日1 分3月7日 稽古場の床春日大社の床に烏丸光胤の春雨の懐紙掛けました。 詠春雨和歌 卜山 日をふれは咲そうも けにはるさめの恵 を木々の花のか 楚伊路 花を散らす憎い春雨も、木々にとっては慈しみ深い大切な父母です。なお卜山は光胤が入道したのちの法名です。
木津宗詮4月6日6 分因縁の地伏見の地は豊臣秀吉が伏見城を築き城下町として反映しました。江戸時代は幕府直轄地となり、京都と大坂をつなぐ淀川水運の要地で、灘と並ぶ清酒の産地でした。伏見奉行が置かれ大名が赴任しました。なお、他の遠国奉行は旗本で伏見奉行は大名でした。それほど幕府が重要視した地でした。...
木津宗詮3月25日1 分手向けの花本日3月16日は旧暦2月25日で、菅原道真公の御命日です。 北野天満宮では道真公を宥(なだめる)と音の通じるということで菜種の花を供え「菜種御供(なたねのごく)」として催されていたのを、明治以降、新暦2月25日に菜種のかわりに梅の花を用いて「梅花御供(ばいかのごく)」が行わ...
木津宗詮3月18日1 分3月18日 稽古場の床幕末の上賀茂神社社家賀茂季鷹の朧月画讃です。信楽焼の耳付花入に紅妙蓮寺椿とれんぎようレンギョウ(連翹)を入れました。 八十三翁 季鷹 さほ姫の 霞の袖に つゝみても にほひこほるゝ 春夜月 和歌では春の月は朧に霞む月を詠むことが約束となっています。佐保姫は春を司る女神のこと...