大津絵発祥地である京都府と滋賀県の境大津市追分町、旧髭茶屋町を訪れました。この地域の説明板のある三叉路に面したお宅の奥さんが、ご親切にこの地域のことに詳しい栖閑寺のご住職をご紹介くださりお話しを伺いました。
三叉路は、三条大橋と伏見に至る旧東海道の分岐点なあたります。道を挟んで家が建ち、北側が大津市、南側が京都市で町の真ん中が境界線になっています。敷地の中に境界線がある家もあります。お話しを伺っているといろいろと疑問が生じました。両市にまたがる家の納税はどうなっているのか?選挙は?火事は?。そこでご住職に尋ねたところ、玄関の向いている方の市に税金を払い、選挙もそちらの側の市に投票するそうです。敷地の面積とかは全く関係がないそです。火事の時は両方の市から消防車が来るとのこと。犯罪や事故とかは結構曖昧とのことです。ちなみに三叉路の2本の道標に車がぶつかって破損した時、大津市は関係無いといい、京都市は文化財でないのでただの石ころ。だから一円もお金出さない。自分たちで直して立てるのは勝手にすれば良いとのことだったそうです。そこで町内の有志がお金を出して修復して立て直したとのことです。
江戸時代は京都市側は禁裏御領、大津市側は三井寺領で、栖閑寺は三井寺領で、境内に「従是西寺門領(これより西寺門領)」と石碑が現在も立っています。栖閑寺は三井寺領にありますが、浄土真宗で本山が東本願寺です。東本願寺の配下ですが、三井寺の支配下にもありました。鉄砲所持の許可を受けるのは三井寺、宗門改は大津奉行所。住職の任免や寺の法務は東本願寺の配下。三井寺領で犯罪犯したものが向かいの禁裏領に逃げたら京都の町奉行所も大津の町奉行所の役人も、三井寺もそこで捕縛できませんでした。まさに治外法権です。他にもいろいろ窓口が違ったとのことです。今も昔もとても複雑です。
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