『松斎聞書 文化十一戌正月九日』3

廻り炭の事は先だって相尋ね候通りなり。初めに手燭を持ち、勝手口を開けて一礼して、燭を炉の 脇に置き、それより炭斗持ち出で申し候。明はいつもの如くなり。半田は巴の方が後の半田なり。客は灰を撒く時に側へ寄るなり。仕舞の時は炭斗を持ち入り、それより座掃にて掃き、次に手燭を取り、勝手口にて一礼するなり


訳 

廻り炭の事は、前もって尋ねた通りである。初めに手燭を持ち、勝手口を開けて一礼して、手燭を炉の脇に置き、それより炭斗を持って席中に出る。灯はいつもの通りである。半田は巴半田の方が後の半田である・客は灰を撒く時に炉の側へ寄るのである。仕舞の時は炭斗を水屋に持ち入り、それより座掃で掃き、次に手燭を水屋に取り込み、茶道口で一礼するのである。


七事式

 元禄時代を過ぎて町人の経済力が伸長し、茶の湯の愛好者が増大した。そうした時代背景の中、茶の湯に対する厳しさが薄れ、また華美なものになり、遊芸化がすすんだ。そこで茶の湯の精神を高め、技術を磨き、心技両面の錬成を目的とし、また増大した門人に効率よく点前や作法を伝授することのできる新しい稽古法として編み出されたのが「七事式」である。

 七事式は表千家七代如心斎と弟の裏千家八代一燈が相談し、さらに大徳寺の大竜・無学両和尚の教えを請い、また如心斎門下の川上不白、住山楊甫ようほ、堀内宗心、三代中村宗哲、多田宗菊そうぎく、一燈門下の速水宗達ら各方面の意向もいれ、協議を重ねて制定した七つの稽古法である。

 七事式の具体的内容は、「花月かげつ」、「且坐さざ・しゃざ」、「廻り花」、「廻り炭」、「茶カフキ」、「一二三いちにさん」、「数茶かずちゃ」である。数人が一組になって楽しみながら、かつ心技両面の錬成をする七事式が確立したことにより、新たな茶道修練上の一つの新機軸が開かれたといえる。ちなみに「廻り炭」は炉の季節で、風炉は廻り炭のかわりに花寄せ、他は炉・風炉いずれの季節でも行われる。「七事」の由来は、中国宋の圜悟克勤えんごこくごんの著になる語録『碧巌録へきがんろく』にある指導者としてそなえるべき七つの徳をいった「七事随身」の語に因んでいる。七事式の式法のそれぞれに無学和尚の端的な禅の精神に基づく偈頌が添えられている。

 稲垣休叟の『茶道筌蹄』には七事式に加えられたそれぞれの式法について、「廻り花」と「廻り炭」は利休時代からあったとされている。「茶カブキ」は中世の闘茶がその原型である。この三つはそれをもとに整備したものである。「花月」、「且座」、「一二三」、「数茶」の四つは如心斎が新たに考案したもので、最後に作られたものが「一二三」であった。

如心斎自身が七事式を制定した動機を、如心斎の門人横井淡所次太夫の如心斎からの聞書『茶話抄』に、茶の稽古をするときに、ただ点前の稽古に始終すると、その場が沈みすぎたり、緊張感のない雰囲気になってしまい、世間の雑談に紛れてしまい、稽古の目的を果たすことができるようにとの思いで七事式を制定したとしている。

 七事式は本来のわび茶とは異なるものであるが、稽古をするために便宜上作られた稽古法である。常々如心斎が言うには、稽古に臨んでは千畳敷に金を貼り付けた襖の座敷で茶を点てるつもりで習うのでなければならない。そして修練を重ねるうちに、知らず知らずのうちに会得するものがあり、そして茶の湯の極意にいたるのである。七事式の本意を理解しないものは、七事式の稽古そのものを茶の湯の目的と考え違いをしている。そのような解釈は如心斎の茶の湯からはとてもかけ離れたものである。七事式が目的ではなく、繰り返し七事式を稽古することにより茶の湯の極意を体得するのが目的なのである。川上不白は、七事式は茶の湯を極めるための足掛かりであり、茶の湯の極意を極めると七事式は必要のないものになってしまう。あくまでも七事式は手段であって目的ではないとしている。

 七事式は、創案された当初から、京都で相当評判になったようである。そしてそれまでの茶人たちは、七事式を「新法」とみなし、利休以来の茶の湯を改変し、蔑ろにするものとして非難した。

 「花月」は「互換機鋒、子細看(ごかんのきほう、しさいにみよ)」で、絶えず他の動きに注目し、変化があっても少しも動じず、それぞれに応じた動きが出来るよう子細に動作を見ていなければならないということを眼目にしているという教えである。主客五人で、炉・風炉ともに行われ、「月」の札を引いた者が薄茶を飲み、「花」の札を引いたものが手前をし、都合四服を点てる。  「且座」は「是法住法位このほうはほういにじゅうす」で、主客それぞれの役割、法則が前もって決められており、一度定まると位置や役目が変わることがないという教え。なお、且座は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられたものである。客が三人、亭主(東)と通い役(半東)の五人で、炉・風炉ともに行われる。正客が花うぃ入れ、次客が炭を次ぎ、三客が香を炷き、東が濃茶を点て、半東が薄茶点てる。

 「廻花」は「色即是空凝思量、即背(しきそくぜくうしりょうこらせば、すなわちそむく)」。万物は本来空であって、麗しい花も元は無一物であり、花を入れるときに頭の中で思量を凝らして考えると、よけい真実の姿、本来の趣きに背いてしまうと言う教えである。利休七則の中に「花は野にあるように」とあるように、花を自然に入れることは難しく、その修練を目的としてつくられたものである。客は何人という定めはなく、炉・風炉ともに行う。一同が順に一つの花入に交互に花を入れ、茶は点てない。なお、廻炭は風炉では行わないので、「花寄」がある。花寄は廻花同様であるが、廻花が一つの花入で行うのに対し、数多くの花入を飾り、それに主客が花を入れる。

 「廻炭」は「端的底看聻(たんてきていにみよにい)」。炭をつぐことの極意、無駄なく、いかに炭を置けば最も火がうまく起こり、湯の沸く時間も含めて考えよという教え。「是法住法位、老間相常住 七事式 且座 茶道」の文字には意味がなく語勢を強める文字である。角の数は定めはなく適宜の数で、炉でのみ行われる。主客ともに一同が順に炭を次ぐ。廻炭は、炭手前の修練を目的とし、茶は点てない。

 「茶カブキ」は「于古于今截断舌頭、始可知真味(いにしえにいまにぜっとうをせつだんして、はじめてしんみをしるべし)」。常に「甘い」「辛い」「熱い」「冷たい」などを、舌先の感覚により判断するが、これはあくまで仮の判断で、真の味はその舌頭を截ち切ってこそわかるものであるとの教えである。人数に定めはなく、客と亭主と記録係の「執筆」で、炉風炉ともに行われる。予め茶銘のわかる「試茶」を二種飲み、続いて「客茶」が加えられて、名前を明かさない「本茶」三種を飲み、それぞれの茶銘を当てる。茶カブキは栂尾産の「本茶」と、それ以外の「非茶」をきき当てる賭け事として中世に流行した「闘茶」に源がある。  「一二三」は「修証即不無、染汚不似(しゅうしょうすなわちなきにあらず、せんおすればにず)」。日々怠ることなく修練の上に修練を重ねれば動ずることも、臆することもなく、また客は是は是、非は非として厳正に判断するということである。五人で、炉風炉ともに行い、亭主が点前をし、客はその点前を評価をする。

 「数茶」は「老倒疎慵無事日、閑眠高臥対青山(ろうとうそようぶじのひ、かんみんこうがしてせいざんにたいす)」。何もかも洗い流した心境で寝ながらにして成山を眺める。禅の悟りの境地をいっている。人数に制限はなく、炉・風炉ともに行う。取り札により、互いに薄茶を点てて飲む。十種香札を使用し、客の数だけ茶を点てる。数茶は、七事式の最終の段階におかれていて、互いに清談を交わしつつ、七事式で唯一、煙草盆も出され、干菓子を食べて気軽に茶を飲む。


武者小路千家と七事式

七事式の制定という新たな試みをするにあたり、三千家が一丸となり千家の名の下に進められた企画であったと考えられる。当時の家元は直斎で、川上不白の『不白筆記』に、花月の式法が定まったときに、三千家の宗匠が集まり花月をしていると記されている。ところが理由は不明であるが、最終的に七事式が完成する前に脱退している。

 七事式制定には参加していなかったが、松斎の聞書によると、一啜斎の段階で「廻り炭」と「廻り花」、「茶カブキ」はすでに行われていたことがわかる。その後、一啜斎の末娘の宗栄(智昌)の婿として一燈の孫である好々斎により、裏千家から「花月」が伝えられている。好々斎の兄認得斎は、好々斎の入家にあたり、当時、武者小路千家で行われていなかった「花月」の式法を、入家の引出物の一つとして持っていかせている。現在、「且座」や「一二三」などの七事式が行われている。

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