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執筆者の写真木津宗詮

柘榴(ざくろ)

柘榴は、平安時代の延長元年(923)に中国から渡来したとされています。



その実は、食用のほかに、むかしは銅鏡の曇りを防止するために磨く材料として用いられました。江戸時代の銭湯には湯船の手前に「石榴口」という背の低い出入り口がありました。これは「屈み入る」と「鏡鋳る」(鏡を磨くこと)とを掛けたものだそうです。

柘榴は、他人のこどもを食べる鬼神「可梨帝母(かりていも)」に、人肉を食べないように代わりに柘榴の実を食べさせた話しが有名です。以後、可梨帝母は 鬼子母神として子育ての神になったとされています。なお、この伝説は日本で作られた俗説だそうです。柘榴が人肉の味に似ているという俗説も、この伝説から生まれました。また、柘榴は小さな実が沢山あることから、子沢山を意味し子孫繁栄ということでめでたい木とされ、また、厄を除けるとされました。



また、太宰府に左遷されて非業の死を遂げた菅原道真が怨霊となり、比叡山延暦寺の尊意のもとに現れたとされる逸話があります。尊意が道真に柘榴の実でもてなすと「復讐にあたって、梵天と帝釈天の許可を得た。例え天皇からの命令であっても、私を阻止するような事はしないで欲しい」と道真の怨霊に頼まれました。尊意はこれを「天皇から要請があれば、断る事はできません」と断りました。それを聞いた道真は激怒して、とっさにザクロをつかみ口に含んだかと思うと種ごと吹き出しました。種は炎となって燃え上がり、傍らの戸に引火し、尊意は印を結び水を放ち消し止めました。柘榴でもてなすのは果物が古くは菓子の扱いをされていたのと、中国渡来のものとして高価なものだったこともあると思います。また、やはり何か不思議な霊力のある木の実とされていたことにもよるのでしょう。



わたしの大好きな賀茂季鷹が賛を書き、萩之坊乗円の石榴図です。


花のミかこのみも 

    ひらき

 わさはひを

   よそにさくろと

    時得かほ成 

右慈賢法印詠歌

     季鷹書    



柘榴は花だけでなく実も開き、厄なんかなんでもないと得意げな顔です。

慈賢法印とは、浄土真宗 真宗木辺派(しんしゅうきべは)の本山錦織寺(滋賀県野洲市)の 18代 賢慈のことです。

石榴の実季節となりました。日本では秋から初冬にかけてが収穫期です。以前タイに行きました。あちらは季節が関係ないようで、年中実っています。バンコクの場末の市場で飲んだ常温の石榴のジュースの美味しかったこと!

あの味は生涯忘れません‼︎

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