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執筆者の写真木津宗詮

熨斗(のし)

 熨斗鮑(あわび)の略で、鮑の殻や臓物をとり去り、肉を細長い条(すじ)状に小刀で薄く桂むきにして水洗いし、琥珀色の生乾きにして竹筒で押して伸ばし、更に水洗いと乾燥を交互に何度も繰り返して乾させて製品としたものをいいます。なお、熨斗という字は当て字で、「熨」は熱でしわをのばすとういう意味の漢字で、柄杓を意味する「斗」を組み合わせて火熨斗(ひのし)を指します。火熨斗は金属製の容器にに炭火を入れて布地の雛を伸ばすアイロンのような用具です。なお、現代中国語でも熨斗

はアイロンを意味しています。  奈良時代には献上物の一つとして、干物が納められていました。輸送手段が発達していない当時、各地から都に魚を運ぶとなると、魚の保存性を高める必要があり、海産物を干物に加工するようになりました。当時は干物と呼ばれていたわけではなく、小魚の丸干しである「きたひ」、内臓を取り除いて干した「あへつくり」、大きな魚の身を細く切って干した「すはやり」と呼ばれました。  古来より熨斗鮑は縁起物とされ、神饌や保存食として用いられてきました。熨斗鮑の「のし」は延寿に通じ、アワビは長寿をもたらす食べ物とされたことによります。なんと平城宮跡の発掘では安房国より長さ4尺5寸(約1.5m)のアワビが献上されたことを示す木簡が出土しているそうです。中世の武家社会においても武運長久に通じるとされて喜んで用いられていました。


  鮑・あわび

 昔の都であった奈良や京都は海に面していなく、魚貝類などの生臭物は貴重な品でした。運送態勢の未発達な時代にはこれらを干物などの保存食として都に運びました。当時の人たちには日常の食事のおかずは野菜が中心で「ハレ」のときの食事にはぜひとも生臭物を口にしたいとの強い思いがありました。これに対して婚礼などのめでたいとき・ハレのときの進物には仏事などの凶事の贈答でないことを強調するためにわざわざ生臭物を添える風習がありました。そのため魚の鰭(ひれ)や鶏の羽などの生臭物を贈答品につけることが行われたのです。そのなかで最も一般的なものが熨斗鮑1片を添えることでした。本来、紅白の紙を折って熨斗鮑を挟み慶事における進物や贈答品に添られるものですが、現在は熨斗鮑に似せた黄色の短冊状の紙を紅白の紙を長六角形の折り込んで中央で包んだ「折熨斗」や熨斗鮑と水引を印刷した進物用の「熨斗紙」や、金銭を贈るときに使う「熨斗袋」もあり、もともとの意味が忘れられて形式化しています。


  包熨斗


  熨斗紙

 本来の熨斗鮑は幅2センチほどの細長いもので、それを束ねたものが「束ね熨斗」、細長い状態のものを少しずつ重ねて畳表に挟んで重石をかけて複数枚を付けた「大熨斗」があります。束ね熨斗は奇数の熨斗鮑を白の大高檀紙に杉原紙を重ね熨斗鮑の中央で巻いたものです。大熨斗は初釜などの床飾として熨斗台に載せて二つに折って熨斗押で抑えるなどして用いられています。



  大熨斗・長熨斗

 伊勢神宮では、古来の製法で調製された熨斗鰒(あわび)が、6月と12月の月次祭(つきなみさい)、10月の神嘗祭(かんなめさい)で奉納されています。なお、一般的には「鮑」・「蚫」と書きますが、神宮では平安時代に書かれた『延喜式』に則って「鰒」と書かかれています。神宮で神饌として用いられる熨斗鰒は志摩半島のとったんで紀伊半島のでっぱりのいちばん東にあたる地の国崎(くざき・鳥羽市国崎町)という漁村の鎧崎(よろいざき)にある神宮御料鰒調製所で調製された身取鰒(みとりあわび)と玉貫鰒(たまぬきあわび)です。その起源は約2000年前に倭姫命(やまとひめのみこと)が志摩の国を巡られていた時、国崎で海女の「おべん」から鰒を差し出され、そのあまりの美味しさに感動し、伊勢神宮に献上するように命じられ御贄処(みにえどころ)として定められたたのが始まりとされます。熨斗鰒造りは、毎年6月から8月にかけて作業が行われ、一回に使われる鮑は約200kgとのことです。一つ一つ鰒の身を皮を剥くように薄く桂むきして桧で造られた干し場で干していくそうです。


神宮の神饌に用いられる「身取鰒」

  神宮の神饌に用いられる「玉貫鰒」

 なお、現在、結納屋で売られている熨斗鮑は鮑で作られたものではなく代用品が一般的です。佐賀市で「うみたけ」とよばれる砂地に生息する二枚貝と海藻・ノリ・にかわでどろどろの液状にして乾燥させたものを畳表に挟んで作ったものを熨斗鮑の代用品として使用しているそうです。近年は結納でも「うみたけ」で作った代用品が用いられることも減り、変質しにくい科学合成繊維の安価な熨斗鮑が一般的になっているそうです。


うみたけ

 武者小路千家9代家元好々斎の『官休録』に、  床に熨斗飾る事、年頭或は慶賀の節見斗飾りてよ

 し、濃茶口切に宗匠家には飾る事有申、是は家職

 に付たる祝成べし、又客を賀して茶湯の節など餝

 る事もあり、去ながら客を餞別等にて呼時は、四

 方盆抔に切熨斗を置、本膳出す前に持出、客前に

 居置てよし、尤三人の客なれば熨斗も並べ置べ

 し、是は客へ呈する已也、、但、床にかざるみし

 はさゝい、熨斗あわび、玉子、俵(まま)の類何

 にても不苦、三宝(まま)或は熨斗台にのせ置 現今同様、好々斎の時分にも床に熨斗飾をするのはおめでたい慶賀の茶事のときにしました。


  熨斗飾


特に口切は茶家にとって家職に伴った重要な祝儀事であることから熨斗飾りをするとあります。客を祝う茶事にも飾ることがあり、特に旅立つ客の送別の茶事の折には四方盆などに切熨斗をのせて、懐石料理を出す前に持ち出し、客前に置くのも良いとしています。この切熨斗は酒の取肴でありますが、客の道中の安全を願い餞別の意味があり、婚礼の鯛などのように持ち帰ったものであったと考えられます。なお、三人の客ならば切熨斗を膳の器につけて出したとようです。床に飾るだけならば栄螺、熨斗鮑、玉子、ホンダワラの類ならなんでも良いとあり、今日のように熨斗鮑に限ったものではなかったようです。栄螺は「栄(さかえ)」が「さざえ」に近い音なのでつけられたとされています。もともとは「さざえ」は「小家(ささえ)」のことで、小さな柄のようなものを「ささえ」といい、その「ささえ」を多くつけた貝という意味だそうです。古くは「ささい」と呼ばれていました。なお、栄螺は生貝であったのかそれとも干物であったのか、また玉子は生卵なのか煮抜き玉子であったのかは不明です。またホンダワラは海藻の一種で天日に干して保存食として食べられました。なお、ホンダワラには神馬藻(陣馬藻)の別名があります。神功皇后(じんぐうこうごう が三韓征伐のために九州から渡航するとき馬の餌が不足して困っていたとき、海人の勧めでホンダワラを食べさせたという逸話があります。


  ホンダワラ

  サザエ


いずれにしろ京都は海に面していないため、海産物は貴重なもので、また卵も高価なものであったことから進物として用いられ、また贈られる側も有り難く喜んでいただいたものでした。そして床に飾る時は三方、あるいは熨斗台にのせて飾るとあります。その熨斗鮑を固定するのに熨斗押が熨斗鮑の上に置かれます。熨斗押には各種好みのものがあります。


  溜塗丸三方

 熨斗鮑を床に飾るのは正月の鏡餅同様に歳神へ

  賀茂別雷神社・上賀茂神社 昭和度式年遷宮直

  会盆

  堅地屋清兵衛作 遠山盆

  芦田真阿作 聿斎好 住吉大社霞盆

  芦田真阿作 聿斎好衝重熨斗台 寿自筆 喜寿の

  折好

  芦田真阿作 聿斎好熨斗台 盃台にも 聿斎亀自

  筆

永楽妙全作 紫交趾宝尽小槌熨斗押

一瀬小兵衛作 竹 豊年熨斗押

  宮川香斎作 鈴熨斗押

  後陽成院時代 内侍所鈴


の供物としての神饌でした。床はもともと壁面の前に仏画や名号・神号を祀り三具足などの仏具を置くために奥行きの浅い分厚い押板がその起源とされています。そうしたことから床は神仏が祀られる空間であり、歳神は松の内の間床に滞在することから餅や熨斗鮑が供えられたのです。その流れから祝儀の席で床に熨斗飾りがされるようになったと考えられます。ちなみに子どものころ床に上がると親から叱られました。床は神仏の座であることからその空間を侵すことの戒めであったのです。現在は床のない家が増えています。床に上がってはいけないということは、これからの子どもたちには一部を除けば何のことやらわからなくなっていくのでしょう。  なお、かつて知人の神宮の職員からもらった撤下品の熨斗を熨斗台にのせて飾り、毎年新年を寿ぐ点初の床飾にしています。


  各種熨斗飾



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