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酒の徳と茶の徳1

 室町時代美濃の国(岐阜県)の僧蘭叔(らんしゅく)が著した『酒茶論(しゅちゃろん)』という本がある。酒の愛好者「忘憂君(ぼうゆうくん)」と茶の愛好者「滌煩子(じようはんし)」が古典を引用し、風流韻事を述べつつそれぞれ酒と茶の功徳・高潔・優劣を競い、最後に「一閑人(いっかんじん)」が登場して「酒は酒、茶は茶」といって両者を仲裁して引き分けるという内容である。

 酒と茶、タバコ、コーヒーは、心地よい香りと刺激を得ることができる世界の「四大嗜好品」といわれている。これらは単に嗜好品であって人が生きるにあたり欠かすことのできないものではない。そのなかでも古くから日本人の生活の中で酒と茶ほど多くの人々に支持されてきた嗜好品はないであろう。ただし、キリスト教ではワインを通じて植物色素やビタミンを摂取し、茶も漬け込んで発酵させてから保存ができるように乾燥してビタミン源とし、団茶に加工したものをモンゴルの遊牧民は栄養源としていている。そういう意味では民族や時代地域によっては単なる嗜好品でない側面もある。


酒の徳

 酒については、古くは『古事記』や『日本書紀』にの記述がある。富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)の祭神であり富士山頂に祀られている木花之開耶姫(このはなさくやひめ)が初代天皇である神武天皇の祖父彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)を生んだことを喜んで、父である三嶋大社(みしまたいしゃ)の大山祇命(おおやまつみのみこと)が娘の木花開耶姫が米を用いて日本で最初に造った酒、「天甜酒(あめのたむざけ)」を神々に捧げたとある。また少彦名神(すくなひこなのかみ)が酒造りを広めたと。つまり、酒ほど日本人との関わりが深い飲み物はないのではなかろうか。そして今日、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)や京都の松尾大社(まつのおたいしゃ)など全国各地に酒の神を祀った神社があり酒造りに関わる人々の信仰を集めている。

 『酒茶論』にあるように酒と茶の功徳は古くから称えられてきた。適量の酒はどんな良薬よりも効果があるとして「酒は百薬の長」とといわれる。室町時代狂言の「餅酒(もちさけ)」に「酒の十徳」として、


  独居の友、万人和合す、位なくして貴人と交わる、推参(すいさん)に便あり、旅行に

  慈悲あり、延命の効あり、百薬の長、愁いを払う、労を助く、寒気に衣となる


ともある。「推参に便あり」とは祝いや土産に持っていくと喜ばれるということで、「旅行に慈悲あり」は旅先で疲れている時も食欲を増進するということである。酒はほどよく飲めば体に活気を漲らせて健康を保ち延命の効果がある。そして嫌なことを忘れさせてくれて身分の上下を越えて人の心を開いて親しく交友ができ、独り淋しいときには友人のように自分を励ましてくれる嗜好品なのである。また江戸時代の随筆を集めた『百家説林(ひゃっかぜいりん)』では、柳沢淇園(やなぎさわきえん)が飲酒十徳として、


  礼を正し、労をいとい、憂をわすれ、鬱をひらき、気をめぐらし、病をさけ、毒を解

  し、人と親しみ、縁を結い、人寿を延ぶ


としている。

 日本人は聖徳太子の「和を以もって貴とうとしとなす」以来、人の和を大切にしてきた。そうしたことから酒の徳として特に精神面を強調しているようである。そして酒のストレス解消と抗うつ作用を評価している。さらに、酒は円滑なコミュニケーションを図ることができるなど、心理的な効果があることを酒の徳として古来、特に強調しているのである。

 なお、酒は決してプラスの側面だけではない。マイナスの側面も多分にある。例えば「酒極きわって乱らんとなる」とか、「酒は諸悪の基もと」、「狂い水」、「地獄湯(じごくとう)」「狂薬(きょうやく)」「万病源(まんびょうのもと)」などといったことばに代表されるように酒による害を説いたものも多々ありる。酒は飲めば飲むほど気が大きくなりしばしばいざこざの元となることがある。飲みすぎることにより健康を害して死に至ることもある。決して無理をして飲むものではない。そこで「酒は飲むべし飲むべからず」という言葉もある。くれぐれも自分自身で判断しなければならない。



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