• 木津宗詮

隠れキリシタン2

 かつて京都洛西教会のセミナーでご縁をいただいた杉野牧師と長崎市外海町黒崎出身で隠れキリシタンの末裔の島崎さんから改めて隠れキリシタンについてご教示いただきました。

 江戸幕府は「バテレン追放令」の後に厳しいキリシタン弾圧がはじまり仏教への改宗を迫りました。キリシタンの信仰を守った人々は表面上はその信仰を捨てて寺請制度を受け入れ、仏教徒として振舞いながら密かに信仰を伝えてきた人々を隠れキリシタンといいます。禁教令から250年あまりが過ぎた慶応元年(1865)、杉本ユリら15名の浦上の隠れキリシタンが長崎市の大浦天主堂を訪れ、フランス人神父プティジャンに、


 「ワタシノムネ、アナタトオナジ(私達もあなたと同じ信仰を持っています)」

「サンタ・マリアの御像はどこ?」


と秘密を告白しました。そしてプチジャン神父は大喜びですぐにフランスから持参していた聖母の前まで導き、一緒に祈りを捧げたそうです。この出来事をカトリックでは「信徒発見」と呼び、東洋の奇跡といっています。なお、この時はまだ禁教は解けておらず厳しい弾圧が続いていました。そしてようやく明治6年(1873)にキリシタン禁教の高札が撤廃されて禁教が解かれました。そして隠れキリシタンはそのまま旦那寺の檀家として残った人々と、カトリックの信仰を復活させた人々、その後も隠れキリシタンの信仰を守っている人々の3つのグループに分かれることになりました。なお、キリスト教の信仰をするもののうち、前者を「潜伏キリシタン」、後者を「隠れキリシタン」として区別しています。

 隠れキリシタンはの組織は帳方と水方、聞役の三役と信者とから構成されています。帳方(爺さん・爺役)というのは教会暦の祝日が旧暦でいつに当たるのかという暦を繰り出し(日繰り)それを知らせるの役のことです。信仰活動をこの暦によって行うことから帳方が隠れキリシタンの組織の最高指導者です。なお、教会暦とはバスチヤンと呼ばれる日本人修道者が伝えた教会暦(バスチヤン暦)のことです。水方(看坊役)は洗礼を授ける役であり、聞役はその補佐をします。三役とも場所が違えば少しずつ名称は違いますが役目はほぼ同じです。国外に追放された神父に代わってこの三役がオラショを唱え、儀式を司どり洗礼を授けて隠れキリシタンの信仰を伝えてきたのです。なお、オラショとはラテン語の「Oratio」(祈り)を語源とする祈祷文のことです。元はラテン語による祈祷文でしたが、口伝を続けるうちにラテン語とも日本語でもない言葉となって今日に受け継がれています。

 バスチャンはジワンという神父の弟子であり、この地域で伝道した修道士で洗礼名がセバスチャンであったこと以外なにも伝わっていません。のちに捕らえられ拷問を受けた後、斬首されたと伝えられています。バスチヤンは四つの予言を残したとされています。その予言とは、


一、お前達を七代までは我が子と見なすが、それからのちはアニマ(魂)の助かりが困難になる。

二、コンヘソーロ(告白を聞く神父)が、大きな黒船に乗ってやって来る。毎週でもコンヒサン(告白)が出来る。

三、どこでも大声でキリシタンの歌を歌って歩ける時代が来る。

四、道でゼンチョ(異教徒)に会うと先方が道をゆずるようになる。


の四つです。この予言を胸に隠れキリシタンは300年にわたり祈り続けたのです。そして7代目に神父が黒船に乗ってやってきてキリシタンの歌を歌える時代になったのです。ただし道をゆずるようにはならなかったですが…

 かつて映画化された遠藤周作の『沈黙』は黒崎が舞台となっているそうです。なお、小説では架空の村「トモギ村」が黒崎だそうです。『沈黙』は幕府から弾圧を受けている時代に、ポルトガル司祭が日本に潜入するというストーリーです。遠藤周作は黒崎教会の神父や当時、帳方であった村上近七から隠れキリシタンの話を聞いて小説のイメージを膨らませたそうです。

 昭和56年(1981)2月26日に元ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が、長崎市の西坂公園の「日本二十六聖人殉教地」を訪れた時に親しく隠れキリシタンの末裔と面会しました。あらかじめ末裔の人たちの名簿が作られ、順次その名前を読み上げました。その時、黒崎の村上近七だけが何度名前を呼ばれても出てきませんでした。後日、なぜ教皇に面会しなかったのかを近七が語っています。名簿に「未信者」と記されていたことが理由だったそうです。自分たち隠れキリシタンは400年先祖代々体を張って信仰を守り、そして継承してきているのに「未信者」というのはどういうことなのか。禁教時代、自分たちの先祖は神父が現れるのを待ち続けていた。バチカンは300年にわたり見捨てていたのではないか。それを「未信者」とは納得がいかない。そうした思いからいくら名前を呼ばれても出ていかなかったそうです。バチカンにはバチカンの考えがあるのは理解しますが、近七のこの時の思いには何か胸の締め付けられるものがあります。

 近七が亡くなったあと、黒崎の帳方は近七の兄茂が引き継ぎ、現在は茂の子息茂則さんが引き継ぎ、隠れキリシタンの信仰を今も守り伝えているそうです。


   キリシタン禁教の高札

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