韓国近代農業の父

「韓国近代農業の父」とされる禹長春。かつて禹が試験農場を置いた東莱の禹長春博士記念館を訪れました。



禹長春の父の範善は乙未事変で閔妃殺害に加わった朝鮮王朝末期の武官です。のち東京に亡命し日本人の酒井ナカと結婚し、二人の間に長春は生まれました。なお、のちに父の範善は東京から呉に転居し、引っ越し祝いの日に高永根に閔妃を殺害した復讐として暗殺されました。 長春6歳の時のことです。


長春は東京帝国大学農科大学(農学部)実科で学び、卒業後、農林省に就職し、朝顔の遺伝研究などに没頭しました。そして日本人女性・渡辺小春と結婚し、父の恩人で朝鮮人亡命者を支援していた須永家に養子に入り、須永長春と名乗り、生まれてくる子どもたちは日本名を名乗らせ日本人として育てました。


長春の論文「種の合成」で東京帝国大学より、朝鮮人初の農学博士号を取得し、今日、日本人が食するキャベツや白菜などは禹が築いた土台を基に品種改良が進められたものです。


大韓民国の樹立で禹の呼び寄せ運動が韓国政府・国民挙げての大きな運動となりました。国母閔妃殺害で国賊の烙印を押された範善を父に持ち、日本生まれの禹は韓国語を話せなかったこともあり当初は躊躇しましたが、最終的に日本に妻と子供を残して単身渡韓しました。生まれ育った日本がしっくりきていましたが、やりたい研究に思う存分打ち込め、それが父範善の国のためになればと考えたそうです。


釜山に設立された韓国農業科学研究所所長、中央園芸技術院(国立試験場)院長に就任し、朝鮮戦争で苦しむ国民に希望を与え、大根や白菜・ジャガイモ・稲・済州島近辺を蜜柑の品種改良につとめ61歳で亡くなりました。韓国民として最高の名誉である大韓民国文化褒賞を贈られ、国葬に準じる社会葬が行われています。


韓国では道徳の教科書に載っていて、韓国国民で禹長春を知らない人はなく、「韓国近代農業の父」あるいは「キムチの恩人」として有名だそうです。ちなみに、京セラ創業者の稲盛和夫夫人は四女・朝子さんです。




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